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どちらかが彼女を殺した/東野圭吾

 義姉が頭にきた本シリーズ第3弾。
 正確にいうと「頭にきた」わけではないのかもしれない。これと『私が彼を殺した』の2冊を持ってきて「ちょっと読んでみて」と言った。眉間に縦じまを浮かべながら。

 義姉の傾向は見えてきていて、「結末が不明確なもの」が嫌いらしい。なのになんでこの本を読むかね?
 作品中に犯人の名前は明記されない。被害者の兄と刑事が「わかった!」「なるほどそうか!」「グッジョブ!」「今度呑みに行こうぜ」と肩を組んで結末になる。スッキリしない読者も多かろう。
 その「スッキリしない」の程度には個人差があるだろう。私は巻末袋とじの「解説 推理の手引き」を読まなくても犯人はわかった。それでもスッキリしなかった。

(以下、内容に踏み込んで語るので未読の方は読まないほうがよいかと)

 結末付近に決定的なヒントがヒントとして明示されているので、そこから1つずつ順に考えれば犯人は特定できる。しかし、その特定された人物が犯人だとして、犯行現場の状況が説明しきれないと思う。
 被害者が書きかけて反古にした手紙を犯人が持ち帰っていたことだ。この手紙は遺書めいた文面であり、自殺を偽装しようとしていた犯人にとっては都合のよいものだったはずだ。被害者と犯人のつながりを隠蔽したいという理由は考えられるが、それならば冷蔵庫に貼られていた犯人の電話番号を書いた紙を放置したことと矛盾する。写真の燃えカスを置き去りにしたことにも同様の疑問があって、犯人とのつながりを隠したいのであれば燃やすのではなく持ち帰るべきであって、自殺を暗示するために燃えカスを残したのであれば手紙を持ち帰ったことと矛盾する。
 もう1つは、部屋の合鍵がドアの郵便受けに入っていたこと。2人の容疑者のうちの片方が入れておいたのだが、自殺を偽装しようとしていた以上、持ち帰るなり捨てるなりするのが合理的だろう。まあ、犯人自身は合鍵がそこにあると知らなかった可能性もあるが。

 犯人を名指しすることには論理的な破綻はない。「推理パズル」としてはキッチリと成立している。しかしそれは「パーツ」の話にすぎない。作品全体としては何かが足りない印象だ。
 推理小説における「解決」とは、作品全体に散らばった一見バラバラな材料に繋がりが与えられることだと思う(あるいは、それに成功したと読者に思わせることだと思う)。それが爽快感、スッキリ感につながると思うが、本作はそれに失敗していると思う。古典的なとらえ方なのかもしれないが、推理小説マニアでない読者ってそんなものでしょう?

おススメ度:★★★
(パズル好きの人には楽しめる)
義姉共感度:★★★★
(モヤモヤが残るのは理解できる)

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