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女として人類学者として マーガレット・ミード自伝(和智綏子訳)

 単にミードと書くと社会心理学者のG.H.ミード(男性)と紛らわしいが、文化人類学者のM.ミード(女性)の自伝である。そこで混乱するのは私だけ?

 1901年生まれのミードが1972年に書いた自伝。ミードは1925年からサモア、ニューギニア、バリ島などでフィールドワークを行い、その成果を発表することで名を成した。しかし、現在にあっては「過去の人」という観が強く、並び称されることの多いルース・ベネディクトと比べると特にそう感じられる。
 本書を読むと、それも無理はないように思える。

これまでに二人(注:ミードと3人目の夫であるグレゴリー・ベイトソン)は、それぞれニューギニアでフィールド・ワークをしていたのだが、そこの景色といえば、うっとうしいニューギニアの茂みの中で時折あらわれる色鮮やかな小鳥や花だけが唯一の慰めだったし、人びとはといえば、互いに恐れあい敵意に満ち、分散していた。訪れるヨーロッパ人たちのためにカヌーを漕いだり、山越えの荷をかつぐのも、意にかなった時だけやっと重い腰をあげてやってくれるが、決して勇んでやってくれるわけではなく、しかも自分たちのいつも通る道しかたどろうとはしないのだった。(中略)
 おまけにどれだけ長くフィールドにいようとも、土地の食物とわずかばかりの罐詰の食料でやっとしのぎ、暑さや疲れや、特にセピク河では雨期のどしゃ降りや高水位のしのぎにくさや時々おそうマラリア熱に耐えていても、何かその文化を理解する鍵となるような儀式にめぐりあえるといういう保証は何もないのである。(中略)
 実際、ニューギニアで調査する者は、やっと落ち着くことのできた村の状況や、その村でその時見つけることのできた人びとの能力に全く左右されてしまう。インフォーマントとして有能で、我々の仕事に関心を持ってくれる人はたった一人しかいないかもしれないし、あるいは全く誰もいないかもしれない。
これら全ての紆余曲折に富んだ状況に対し、バリは著しい対比を示した。バリは、木が植わって入念に作られたテラス状の丘と、頭や肩にいっぱいの荷物を背負って足ばやに疲れも知らぬ気に歩く人びとであふれる道路が、美しい眺めをつくっていた。村々はびっしりと家が建っており、互いに近接していた。一つの言語を話す人びとは百万を越えたが、ニューギニアでは数百人、又は、多くても数千人といったところだった。バリ人は数世紀にわたって部分的な読み書きの文化を持っていた。そしてある者たちにはオランダ人が現代的表記法を教えていたので、我々は最初から、習った言語を話すのみでなく書くことができた。しかも、様々な儀式の最も面倒で時間のかかる繰返しの部分を記録できるバリ人の秘書を使うことができた。(中略)
 本拠地の家が決ったので、次には調査する村を定め、そこに家を建てる段となったが、それには場所を決め、適当な職人を見つけるだけで充分だった。バリが我々にとってどんなに素晴らしい天国なのかを理解できるのは、どれだけお金を払うといったところで、何もする気のない人びとを働かせようとしても誰も働いてくれないといった社会で調査したことのある人びとだけだろう。毎日何かしら儀式があった。その村で儀式のない日は、近くの村であるのだった。インフォーマントや、筆記者や、秘書に、調査アンケートを手伝う訓練をすると、直ちに熟達した。

 西欧人の文化を受け入れた、西欧人にとって居心地の良い環境を歓迎する記述で、異文化社会を研究する態度ではないと思う。「いや、文化人類学の黎明期だった当時としては仕方ないのだ」という擁護もあり得るのだが、それは彼女自身の文章からも成り立たないのだろう。1925年頃の文化人類学の置かれた状況をミード自身が次のように説明している。

新しい人類学の基礎となるべき資料が急速に、そして永遠に、消滅しつつあったということだ。最後に残った未開民族も、他文化と接触し、宣教師たちが入りこみ、新しい道具やものの考え方を与えられつつあった。彼らの未開文化は直ちに変容し、ふたたびもとにもどったり、記憶にとどめたりすることは絶対不可能となるだろうと考えられた。アメリカ・インディアンの諸部族の中で、何千年もかかって発達した言語を話すただ一人の生残りの老女がもうろくしてしまい、バッファロー狩りに行ったことのあるただ一人の生残りの老人も、もう死にかけているといった例は数多くあった。調査は「今」すぐ行われなければならなかった。

 もちろん、外部社会からまったく隔絶した「未開社会」なんてものは幻想であって初めから存在しない、という達観はあり得て、私はそう考えているからミードを批判しようとは思わないんだけど。

 さて、本書の原題は『ブラックベリー・ウインター』で、「ブラックベリーの花の上に霜が白く降りる時期のこと。この霜がかからない年は、ブラックベリーは実らない。霜は豊かな実りの前触れなのである」という解題が付せられている。
 そんなわけで、全体の40%以上がフィールドワークに行く前の時期や生い立ち、家族についての言及に当てられている。母親も高学歴で、ウーマンリブ的な思考の持ち主で、その影響を受けたミードは時代の先を行く思考様式の持ち主だと自認しているらしい。

 うーん。ここまでを読み返すと、冷笑的なことばかり書いているなあ。自分。
 なんというか、もうちょっと面白くなりえた自伝なのに惜しいと思う。最初に入学した大学でソロリティ(大学の中のエリートクラブ、もしくは結社)に入ろうとしたら拒絶されたこと(ルックス的な理由で)とか、3回の結婚と離婚とか、それなりに分量を割いて言及しているのだがまだ書き切っていないように感じさせる。本当は多分もっといいネタなのだ。

おススメ度:★★
(今となっては読む意義を見出しにくい。自伝好きな私は趣味として読んだ)
結婚離婚度:★★★★
(「仕事のたびに夫をとりかえ、用がなくなると捨ててしまう」と評される人物)

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