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ドイツ海軍魂 デーニッツ元帥自伝(山中静三訳)

 カール・デーニッツは、ヒトラーの後を受けて大統領となり、ドイツを終戦に導いた人物だ。ニュールンベルグ裁判で有罪となり、10年の刑期を終えた後に書いた回想録『10年と20日間』で1935年から10年間の濃密な期間について書いている。本書は、主としてそれ以前の出来事を書いたものだ。

 1891年生まれのデーニッツは、実科高等学校を卒業した1910年4月に海軍に入った。1年後に兵学校に入学し、1912年10月には最新鋭・最快速の軽巡洋艦「ブラスラウ」に配属された。「ブラスラウ」はもう1隻の巡洋戦艦と2隻で地中海艦隊を形成することとなった。
 地中海では第1次バルカン戦争(オスマントルコ対ギリシャ、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア)が勃発し、列強はバルカン半島沿岸に進出した。この際にはドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オーストリアの列強は表面上は協同して事に当たっており、戦後処理の一環として、アルバニアに部隊を上陸させるなどしていた。
 1914年6月にサラエボ事件が発生してもすぐには変化は訪れず、「ブラスラウ」の乗組員と、イギリス戦艦「キング・エドワード7世」の乗組員とで水球をしていたという。しかし、7月28日にオーストリア・ハンガリーがセルビアに宣戦布告をすると、翌朝には「キング・エドワード7世」は、すぐ隣り合っていた錨地を遠方に移し、30日朝には姿を消した。31日の夜には、ドイツ艦隊も突然活動を始めたという。
 8月2日には独露開戦が伝えられ、フランスとの開戦も確実だという連絡があった。ドイツ地中海艦隊(といっても2隻)は、アルジェリアの港を攻撃して、北アフリカからヨーロッパへ兵員を輸送するフランスを牽制すると、いち早くコンスタンチノープルに行き、トルコを味方に引き入れることに成功した。ドイツ地中海艦隊はトルコ海軍の軍艦に転籍し(乗員はそのまま)、ロシア黒海艦隊に対抗した。
 その後、デーニッツは潜水艦隊に配属され、大戦末期には艦長となってメッシーナ海峡で戦果をあげるなどしたが、乗艦が撃沈されてイギリスの捕虜となって終戦を迎えた。

 ワイマール体制となって多くの軍人が去ったがデーニッツは海軍に残った。潜水艦の保有は禁止されたので水雷部隊を率いたが、ハイパーインフレの下で、給与生活者の生活は苦しかったという。給料をもらって1か月後には物価が上がっているから。
 その後、第一次世界大戦後初めて建造された軽巡洋艦「エムデン」の艦長となった。この艦は練習艦として世界各地を巡ったが、本書で触れられているのは喜望峰回りでインドへ赴いた航海だ。
 途中、第一次世界大戦前はドイツの植民地だったタンガニーカへの訪問を、新宗主国であるイギリスによって制限され、
「どうして君たちイギリス人は不安に感じるのかね! ドイツ人が原住民に対して残酷な植民地統治を行なったと称して、君たちは1919年にドイツから植民地を奪ったのではないか! つまり、われわれが訪問すると、君たち側には不愉快な、原住民からの友好的な大歓迎を招きはしないかと、君たちは今日では心配するには及ばないではないか!」
と皮肉ったりしている。
 そのほかにも、ドイツの植民地政策が優れていたと熱心に述べていて、同じように第一次世界大戦後にフランスの委任統治領とされたトーゴが1960年に独立する際に、かつてのドイツの総督が式典に招待されたのはドイツの「善政」を示していると主張している。
 また、現地住民の証言として挙げているのは次のようなものだ。
「ドイツ人の農場で、そこに傭われている原住民のだれかが、何か責められるようなことをすると、農場主は直ちにどなりつけるが、その原住民労働者が若者だったら、その鼻先を指ではじきます。(中略)イギリス人は直ぐには何も言わないで、その件を記録しておくだけです。そして、8日または14日後に労賃を払う時に、その労働者に向かって、イギリス人農場主は、たとえば≪お前はあの時2時間遅くやって来たから、今日は6ペンス差し引いてあるよ≫と言います。」
 信憑性という点では、ドイツ人におもねる発言なのかもしれないので割り引いて捉えるべきなのかもしれないが、いかにも「ありそう」と思わせるものではある。

 1935年には潜水艦隊司令に就任し、第二次世界大戦におけるUボート作戦を指揮した。さらに、海軍総司令官、大統領(名称はよくわからない)を務めたが、この辺りに関して本書は、「前著に述べたので要約のみ」というスタンスだ。こうなると『10年と20日間』も読みたくなる。
 ただまあ、ドイツ海軍といえばUボートと戦艦ビスマルクぐらいしか一般的には知られていないので、地中海や黒海での活動をはじめとして興味深い話題が多かった。

 図らずも、前の記事では鈴木貫太郎、この記事ではデーニッツ、と日独の戦争終結責任者の自伝が続いたのだが、両国の違いを感じる。
 一億玉砕を唱える勢力がいて終戦を実現するために多くの精力を使った鈴木に対して、デーニッツは戦後を見据えて「どのように終戦させるか」に注力している。ボルシェビキへの対応を念頭に置いて東欧地域からドイツ系住民を引き揚げさせるタイミングを計っている。
 もっといえば、終戦に当たってデーニッツは軍部に対して機密書類を処分するな、と指示したという。少なくとも自分自身については歴史に対して正面から向き合えるという自信だろうし、もっと俗にいえば戦時国際法の理解についての自信があるのだろう。不勉強な私は日本軍で機密書類を残すように指示した人物を知らない。誰かいればよいのだけど。

おススメ度:★★★★
(ドイツ地中海艦隊なんて初めて知った)
前編期待度:★★★★★
(『10年と20日間』を読みたくなった)

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