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勝利がすべてを変える/ジョン・カーワン

 ラグビーの前日本代表監督、というよりはニュージーランド・オールブラックスの元スター選手というべきであろうカーワンの本。日本ラグビーへのメッセージという趣旨だが、それよりも自伝の部分が面白い。

 18歳で初めてオールブラックスに選ばれ、より上のレベルをめざすために特訓を始めたときの記述が面白い。謎の老人が現れてただ1つの練習メニューをやらせる。まるで一昔前の少年漫画のようだ。沖縄で波に向かてシュートを撃ち続ける特訓なのか、はたまたプリンス・カメハメとの特訓なのか。

 父はある人を紹介してくれることを約束してくれた。
「この人についていけば、おまえはベストになれる。でも、つらいぞ。本気で取り組むつもりでなければ、この人には紹介しないぞ」
 そう言われても、私の気持ちは変わらなかった。すぐに電話をした父が言った。
「明日の午後からその人と練習が始まる」
 翌日やってきたのは、頭に毛糸の帽子をかぶり、穴だらけのジャージーを着た老人だった。名をニブルと言い、イノシシを狩る猟師だということだった。
 父は喜びを満面に出してニブルと握手していたが、握手を終えるとニブルは「坊や、こっちに来い」と言って、私を自分の車に連れて行った。
 車には、イノシシ狩りに使う“ピッグ・ドッグ”という犬が5匹いた。傷だらけで、お世辞にも可愛いとは言えない犬だった。車のなかには死んだイノシシが積んであり、ニブルはそれを運べと私に言った。重さは120キロぐらいあっただろう。
 そして私に、「このイノシシを、明日の午後までにソーセージにしろ」と命令した。
 私は胸のなかで「誰だ、こいつは? 何をバカなこと言ってるんだ」と思ったが、父があれだけ喜んでいた相手だったから、尊敬する父のために言いつけに従った。
 ニブルはイノシシを残して「明日の午後来る」とだけ言って、帰っていった。すかさず父に言った。
「いったい何なの? 誰、あの人は?」
「やると決めたのは、おまえだろ。だから、紹介したんだ。誰だっていいだろ」

 4時間かけてソーセージを作ると、翌日の午後にやって来たニブルに公園に連れて行かれた。

 大きな木が等間隔に5~6本立っていた。
 ニブルが私に言った。
「じゃあ、走ってみろ」
 言われた通りに木の間を縫うようにして走ると、「もう1回」とまた走らされた。
 合計10回走って、ヘトヘトに疲れた私に、ニブルが言った。
「あまりいい走りじゃないな。ステップを踏むとスピードが落ちる。スピードを落とさずにサイドステップを踏むことができないんだろ。解決策を一つ教えてやろう。これから週に3回ここに来て、言われた通りに走れば、世界で一番のサイドステップを踏めるようになる」
 ニブルは私を木の所に連れていき、木に対してサイドステップを踏め、と指示をした。この人は本当に大丈夫だろうか? と半信半疑に聞いていたが、木に対してステップを踏むと、スピードが極端に落ちてしまった。
「使えない奴だな。もう一丁」
 次にチャレンジしたときは、よけきれずに木にぶつかってしまった。
 ニブルは、3週間後にまた私をこの公園に連れて来て、こう言った。
「毎日でも、一日おきでもいいから、ここに来て木に対してサイドステップを踏め。そうすれば、1ヶ月後にはトップスピードでサイドステップを踏めるようになる」
 私から父に申し出て紹介してもらったニブルのトレーニングだったから、私は言われた通りに実行した。
 結局、ニブルは練習方法を一度指示しただけだった。しかし、一度見ればやり方がすぐわかる簡単なトレーニングだったから、あとはただひたすら自分でやるだけだった。
 私は、ニブルからラグビーの話を聞いたこともなければ、彼が昔何をやっていたかもまったく知らなかった。ただ「これをやれ」と言われて、それに従っただけだ。しかし私は、ニュージーランドでラグビーをやっている間中、ニブルから言われたトレーニングをずっと続けていた。しばらくトレーニングから遠ざかると、父にこう言われたからだ。
「おい、木のトレーニングをしなくていいのか?」
 ニブルは、父と同じ時代にラグビー・リーグでプレーしていたという話だ。年齢は、おそらく父より10歳以上は上だろう。先日父にニブルの消息を尋ねたら、まだ元気に生きていて90歳になると教えてくれた。ニブルとはもう10年以上会っていないが、私は先日、8歳の息子をその公園に連れて行って、木を見せた。

 ニブルと会ってから3年後、1987年の記念すべき第1回ワールドカップの開幕戦で、私はイタリアから90メートル独走トライをあげた。間違いなく私を有名にしたトライだったが、そのとき私にはイタリアの選手が全部このとき練習した木に見えた。ニブルの練習をして以来、私は視界に相手の姿が入った瞬間にステップを踏むようになっていた。だから、イタリア戦でも、身体が勝手にステップを踏んだのだ。
 しかし、私はその代償として、それから2年間、2週間ごとにニブルが運んでくるイノシシをソーセージに加工しなければならなかった。
(中略)
 あの頃のニュージーランドには、父がニブルに「息子を鍛えてやってくれないか?」と頼んだように、ちょっとした頼み事を気軽に引き受けてくれるような風潮があった。
 ニブル以外にもラグビーの手ほどきをしてくれる人がいた。
 デケイリーという叔父も、ラグビーの名選手だったから、よく私にパスやキックを教えてくれた。
 叔父はお酒が大好きだったので、練習を教えてもらうと、私は帰りにいつもビールを買って「どうもありがとう」と言って渡した。ニブルのためにソーセージを作ったように、ほんのお礼の気持ちだった。

 これは1980年代のニュージーランドでの話だ。
 カーワンの父親も「町の精肉店のオヤジ」の分際で(?)オークランド代表チーム(現在のブルース)のコーチに対して「息子をチームに呼ぶのなら2軍なんかじゃなく1軍で試合に使え」と談判をする。先のニブル爺といい、デケイリー叔父といい、コーチを生業にしていないオッサン達がそれぞれ一家言をもっているのだ。
 こういう環境で育ったからだろう。カーワンは日本ラグビーのセミプロ体制に好意的だ。世界的な大企業で働いて仕事を身につけながらラグビーもできるなんて素晴らしい、と。
 まあ、完全プロ化が非現実的だからリップサービスをしている気もするけど。

おススメ度:★★
(むしろ彼の純粋な自伝を邦訳してほしい)
ジャンプ度:★★★★★
(ニブル爺と吉良監督はビジュアルイメージがカブるね)

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