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1995年1月20日 (金)

荒木又三郎のプロフィール

(本人が書くまでの間、三鷹牛蔵が荒木本人から聞いた情報をもとに捏造しておきます)

 1970年代生まれ。男性。リーマン。東京都在住。
 フランスを母国として愛する。ジャン・ピエール・パパンが一番のお気に入り。パパンが先かミランが先かは不明だが、華麗なるACミランも好き。ビアホフに放り込んでいた時代にはどうしてくれようかと思ったものだ。
 日本に住んでいるので日本代表チームも気にしてはいる。中田英寿は高く評価していたが、三鷹牛蔵のモニワびいきには同意しない。
 特定のJリーグチームを応援しているわけではないが、全盛期のジュビロ磐田は面白かった。いまは湘南ベルマーレの成功を希望している。

 1997年頃「高スポ」を創刊。当初は1人で執筆し、カラープリンターで制作して読者に郵送していた。98年後半頃から刊行が滞り、2002年には「メール版・高スポ」としてEメールでの発行に変わる。これも数か月で停滞。2005年に「ブログ版・高スポ」を始めたところ、三鷹牛蔵から合作の打診を受け、現在の「高スポ★オンライン」開始。当初の「ブログ版・高スポ」は高スポ編集雑記になる。

三鷹牛蔵のプロフィールと執筆のスタンス

 1970年代生まれ。男性。リーマン。神奈川県在住。今は三鷹には住んでいない。
 バスケットボール愛好者。ただし、現在のプレー機会は年に数回のベンチ要員。青少年時代はNBAの存在は遠く、当時の憧れは全日本チーム。第1期小浜HC時代が刷り込まれ、小浜さんに叱責されることを夢想する(マゾか)。
 NBAを見るようになったのは1990年から。当初は名前も知らなかったチャールズ・バークリーのプレーに圧倒される(フィラデルフィア時代)。マイケル・ジョーダンの存在感は別格だった。でも私が好きだったのはデビッド・ロビンソン。
 ベルマーレを応援するようになったきっかけは第72回天皇杯(1993年元日決勝)。名古屋、本田、ジェフを下してベスト4に入ったフジタがJリーグへの加盟を認められないことに憤って応援することにしたのでした(当時はナイーブだった)。
 当初のアイドルはエジソン。JFL時代、中盤でこぼれ球を拾いまくる姿に感心したので。その後、エジソンを追っかけて三鷹に転居し(嘘)、横河電機の試合を見に行ったりした。
 平塚競技場での初観戦はJ初年の浦和戦。8ゲートの見づらさに閉口しつつ、渡辺卓のアクロバティック・ヒールや岡野に蹂躙されるDFライン(特に田坂。名塚はいなかったはず)を目撃する。8ゲート観戦はそれっきり。

 

 執筆のスタンスとしては、一定間隔で記事をアップすることを第一義に考えています。「高スポ」の創刊者にして主筆の荒木又三郎は執筆ペースが上がらないので(気まぐれ編集長…)、私は記事の本数を重視しているわけです。
 記事の内容は、私の視点での観戦記が基本。座席の都合やら私の眼力の限界などもあって、テレビ放送を見て認識を改めることも多いのですが、それを修正することはあまりしていません。現場感覚といえば聞こえがよいのですが、「書きっ放し」というほうが実情に近いです。
 とはいえ、誤変換や語句の誤りなどの「国語的な間違い」は後から手直しすることが多いです。

 

 長らくこの「高スポ★オンライン」はメールアドレスの1つも出していなかったのですが、試みに出してみます。ということで三鷹牛蔵のメールアドレスは、
 mitakau【アット】yahoo.co.jp
です。【アット】をアットマークに変えてください。
 ただし、頻繁にメールチェックをしているわけではないので、急ぎの場合はどこかの記事にコメントを付けて頂く方が確実です。
(2008年3月20日更新)

 

2019年6月追記
「第1期小浜HC時代」と書いたが、北原、岡山、小野、内海といった面々が主力だったのは第2期だったのか。。。。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
  • 三鷹牛蔵
    高スポの陰の支配者。湘南ベルマーレを愛する先天性ジャパニーズ。

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