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2005年6月 9日 (木)

バーレーン戦にみた日本の理想型

これで、中村だと言うことがハッキリした。小笠原や三都主ではなく、ましてや小野や中田ではもちろんなく、中村こそがこのチームの足かせになっていることが、ハッキリしたと思う。

確かに、唯一の得点には絡んだ。再三、テレビで流れたゴールシーンには、彼のトリッキーなプレーがしっかりと映っている。中田から送られたスルーパスをダイレクトヒールではたき、小笠原のゴールを演出した。
ボールが返ってくることを狙ったうえでのプレーだが、小笠原は逆にそれを利用し、自らシュートを打った。正面にいた相手のDFは、逆サイドに向けて飛び込んできた柳沢につられ、間を詰めるのが遅れた。中村と柳沢の動きが囮となり、小笠原は落ち着いてシュートを放つことができた。少なくとも、表面的には。

バーレーンは前回同様、序盤から消極的だった。人数をかけて攻めることをせず、ひたすらロングボールを繰り出す。ねらい目は、日本の左サイド。キリンカップを見れば、誰だってついてみたくなる場所である。
その見え見えのアプローチを防いだのが、中澤だった。裏を取られず、高さと強さで相手を圧倒する。中央まで来てヘディングで競る場面もたびたびあった。ジーコの戦術では、3バックの両サイドが相手の2トップにつき、中央の宮本を余らせるのだから、当然、起こりうることだ。問題なのは、中澤が空けたそのスペースをどうやってカバーするのか、である。どんな相手とどんな状況で競り合っても絶対に勝てる! なんてことはないのだから。

前半27分、まさにその場面が訪れた。チャンスらしいチャンスを与えたシーンではなかったが、相手が日本の右サイドでボールを持ったとき、逆サイドの中澤の背後には広大なスペースができていた。危機が過ぎ去った瞬間、中田は宮本に近寄り、左サイドを指して、声を荒げた(ように見えた)。
思い出してほしい。中田が今回、代表に合流した際、メディアは練習中に福西と言い争いになったという話を流した。ボランチがサイドをケアするべきと主張した中田に対し、福西がDF陣からは中央に残ってほしいと言われていると答えたとか・・・。所属チームで出場機会に恵まれぬ中田を揶揄したいのか、あたかも一触即発のムードが漂ったかのように書き立てられていたはずである。
あの時、中田が言いたかったのは、三都主にそこをカバーしろと言うのは、ナンセンスだということではないだろうか。サイドを突破できる唯一の選手に、守備の負担を重くするのは適当ではない。だから、ボランチの1人がカバーすべきだと主張したのだと思う。そしてこれに対し、DF陣(というより宮本)も、同じ想いを抱いていたと思う。日本が4バックで望んでいたとき、三都主の空けるスペースを孤軍奮闘でつぶしてきたのは、宮本である。自分がカバーするから、ボランチは中央に残ってほしい・・・それが宮本から福西に出ていた要請だったのではないか。あの事件は、中田と宮本という二人の中心選手が、全く同じ意図を持ちながら、結果的に相反することを望んでいたことを示していたのだと思う。あのチームでは、4バックから3バックへの切り換えすら、ちゃんとできていなかったのだ。そのことに誰が責任を持つべきなのかは、今さら言うまい。
バーレーン戦に関して言えば、以後、三都主はオーバーラップを(いつもより)自重した。逆サイドにボールがある時は、自らのポジションを守った。それは、彼が無理をしなくても、チームが攻勢に転じたからである。これまで延々と繰り返してきた無謀な単独突破の試みが減ったことを、三都主本人が最も喜んだのではないだろうか。

今から思えば、前半27分のあのシーンこそが試合の転機になった。2分後の29分、中田はこの試合初めてのシュートを放つ。左サイドでこねくり回した挙げ句、がら空きの中央へ中村がパスを送った場面である。
どんなに相手が引こうとも、ミドルシュートを打てるチャンスならつくれる・・・。左サイドでボールを持ちたがる中村と三都主を同時に使うメリットは、間違いなくそこにある。そして中田にとっては、チームに最大のウィークポイントへの注意を喚起したうえで、ついに自ら果敢に上がる決心をした矢先の出来事だったと思う。それが幸いにも初のシュートをもたらしたのだ。あえなくシュートが枠を外れた後、中田は中村に親指を立てて見せたが、あの瞬間の彼の満足感は極めて大きかったのだと思う。「下手なシュートを打ってチャンスを無駄にしやがって!」などとは、絶対に思ってはならないプレーだったと言いたい。その後の前半終了までの日本の攻勢を思い返せば、多くの人々が賛同してくれるものと期待するのだが・・・。

さて、ここでもう一度、得点シーンを振り返ろう。小笠原のシュートをもたらしたのは、確かに中村のトリッキーなプレーだった。しかし、その前に言いたいのは、彼があの時、フリーでボールを得たという点だ。加えて、本人がそれを望めば、前を向いた状態でボールを足下に置ける状況だったはずである。
だからこそ、考えてもらいたい。カウンターから1点奪うことを頼みに、後は守備を固めて1−0で勝とうとする相手にとって、それは絶対にしてはならないことではないのか。仮にも相手は10番をつけた選手である。どうしても死守しなければならないペナルティエリア付近で、ジダンやロナウジーニョをフリーにしてしまうバカがいるだろうか。あの場所で中村がフリーでボールを得た時点で、むしろ勝負は決まっていたのである。

中村へパスを出したのは、中田である。ほぼ真っ正面に送られたパスは、相手選手3人の間を抜いて、中村へ届けられた。滑稽なシーンである。中田にボールが入った瞬間、慌てたMF2人がプレスに行ってしまい、かえってスルーパスの機会を与えたのだから。 
そして、中田がそのダイレクトパスを出せたのは、なぜか。事の始まりは、DF田中から楔のボールを受けた柳沢が、相手センターバックを引き連れつつ、中田にボールを落としたからだ。結果、柳沢につり出されたセンターバックと、中田にプレスをかけに行ったMF2人が、ほぼ同じ場所に集中した。敵3人をぶっこぬいた中田のパスも素晴らしいが、それを演出したのは紛れもなく柳沢である。
高さでは勝てず、数的優位もつくれないバーレーンの守備に、致命的な綻びをつくったのは中田と柳沢だった。柳沢がボールを受けに引いてきた瞬間、ダイレクトパスのコースをつくるため、中田も引いている。あのシーンは、そうした二人の呼吸で、生まれた。

実のところ、こうした状況を意図的につくれないことが、日本の抱える最大の課題だと思う。「ボールを支配しながら、決めるところで決められない」というメディアの能書きは、そもそも間違っている。中田や中村が完全にフリーで、かつ前を向いてボールを持てれば、チャンスはできる。仮に彼らが決定的な仕事ができなくても、相手は十二分に慌てるし、その瞬間に守備は崩れる。偶然に訪れたチャンスでシュートを決められないからといって、「決定力がない」と済ませている限り、チームは強くならない。日本に、「ペナルティエリア内でボールを得ても心拍数に何の変化も起きない男=ロマーリオ」がいるとでも言うのだろうか。

さて、中田と柳沢のプレーによって広大なスペースをもらったはずの10番はあのとき、あろうことかヒールプレーを選択した。ファンタジスタと呼ばれる者であれば、あそこはワンタッチでシュートだろう。後方に控えていたもう1人の敵センターバックの対応が遅れたため、中村は信じがたいほどにフリーだった。それこそ、マルセイユルーレットを決めて、利き足の左足でシュートを打てるくらいだったと思う。
フリーなのにワンツーを狙うのは馬鹿げている。ワンツーはフリーになるために、狙うのだ。しかも、より角度がなくなる場所へ移動し、これ見よがしに手を挙げてボールを要求した。あれを見て、小笠原はリターンしないことを決めたはずだ。囮としては、あまりに素晴らしいプレーだったから。

最後の仕上げは、柳沢だった。一連のプレーのきっかけをつくったこの男は、仕事を完遂した。中田にボールをはたいた地点から走り続け、小笠原を挟んで中村とは逆側へ走り抜けたのである。小笠原のシュートを阻める唯一の可能性を持った選手(バーレーンの右サイドバック)は、小笠原の単純なフェイントにあっさり惑わされた。それはもちろん、走り抜ける柳沢が目に入ったからである。あのゴールへの貢献度が最も高いのは、絶対に柳沢である。中田→中村→小笠原とつながった理想的なプレーを生み出したのは、「点を取れないFW=柳沢」である。

以上、くどくどと得点シーンについての持論を展開してきたのは、あのゴールこそ日本のめざすべき理想だと考えているから。
ボールを持てる力のある選手たちがダイレクトでボールをつなぎ、決定的な場面を生み出す。それこそが、うまい選手ばかりを選びたがるジーコのめざすべき形だろう。キープ力のある選手がボールに執着しないから、チャンスは生まれる。ボールをはたくべきか、持つべきか、その判断を正確にできない選手は、率直に言って邪魔になる。
だからこそ、中村はいらない。ダイレクトではたかずに必ずボールを持ってしまう選手はいらないし、味方が単純にはたける場所へ移動しようとしない選手はいらないのだ。決定的な仕事をするのは、誰でもいいのだ。メンバーに選ばれている多くの中盤の選手には、それだけの力があるのだから。
たとえトップ下であろうとも、囮になることを厭わず、スペースを突く動きをしなければならない。そして、ボランチの攻め上がりで手薄になりがちな守備にも貢献しなければならない。自分が抜かれても、敵を追い続けないような選手は、いらないのだ。ジーコジャパンに必要なのは、古き良き10番ではなく、むしろネドベドである。世界一カウンターのうまい強豪チームの10番(ただし本当は11番)は、誰よりも走る。チームの王様がデルピエロであることに一切異論を唱えず、バロンドールにノミネートされると「自分はファンタジスタじゃない」と語る。自分の技量を見せることが、チームに貢献するとは限らない。良くも悪くも、それが現在のサッカーだと思う。ジーコが中村に「ファンタジスタであること」を求めている以上、彼は変わらないだろうし。

などと、偉そうに書いている今、すでに日本はW杯出場を決めている。ここに書いた「めざすべき形」は一切みられないまま、北朝鮮に勝利した。個人的には「最後の真剣勝負」を無駄にしたと思っている。
北朝鮮は、なぜ最終予選にいるのかと首をかしげたくなるほどに拙い。その割にパスをつないで、攻撃に人数をかけたがるので、日本には格好の相手である。にもかかわらず、日本のサッカーは逆戻りしてしまった。柳沢のゴールは、あの場面でもう1人のFWをフリーにしてしまう浅はかさが生んだものだし、大黒のゴールは不慣れなオフサイドトラップのかけ損ない。今のオランダやポルトガルなら、5−0で勝てる相手だと思う。
チーム戦術を醸成し、それを試せる機会はもうないのかもしれない。最終予選中に監督のクビをすげ替えた8年前が思い出される。あのまま加茂で良かったとはこれっぽちも思わないが、遅すぎた交代劇は、岡ちゃんに守備重視の消極的な姿勢を強いることになった。本戦での結果は、口にしたくもない。3試合目が終わった直後は、ドーハより遙かにがっかりした。本戦出場を決めたことより、予選の戦いがこんなので良かったのかと、そればかりが気になる。スター選手に「不払い残業」を強いるコンフェデが、本当の意味での「真剣勝負」になるとも思えない。自分の値段を気にしている選手は、ケガしたくないに決まっている。今季で契約の切れた選手だけでなく、来季で契約が切れる選手こそ要チェックである。嫌な世界だねえ。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
  • 三鷹牛蔵
    高スポの陰の支配者。湘南ベルマーレを愛する先天性ジャパニーズ。

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