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2005年9月25日 (日)

高田保則の移籍とベルマーレ復帰プロセスの終焉

あくまでも私はベルマーレというチームを応援しているので、個々の選手に対して過剰な思い入れを持たないように注意している。
だがしかし、高田保則の横浜FCへの(レンタル)移籍という今回の事態に際しては、そのような、逃避も達観も超然主義も適切ではない。彼はベルマーレのシンボルであり、ことはベルマーレのアイデンティティにかかわるのだから。

1998年末のフジタ撤退により、「ベルマーレ平塚」は事実上幕を閉じた。小島伸幸が、田坂和昭が、名塚善寛が、洪明甫が、呂比須ワグナーが、去っていった。かつての強豪チームの顔達はいなくなった。
翌1999年は降格へのカウントダウンのようなシーズンであったが、残った選手達が期待されていた。中田英寿の陰ながらともに中盤を構成していた松川友明、洪・名塚・クラウディオの3バックに割って入ることもあった三木隆司、小島のバックアッパーとしてその不在時に経験を積んだ掛川誠、久しぶりに現れたサイドライン際のタレント・和波智広。ユースチームもいい成績を残していた(その中心選手が茂庭照幸だったんですってね)。
なかでも代表格が高田保則、ヤスだ。呂比須とのツートップで走り回っていたあのFWはこの年、小野伸二とともにナイジェリアで行われたワールドユースにも出場している。期待するなという方が無理というものだ。

だがしかし、降格とともに松川、掛川、三木が去り、喜ばしいことではあるけれども、和波も茂庭もJ1チームに招かれていった。
ヤスだけが残った。
低迷を続けるチームにあって、得点の伸びないチームにあって、エースと目されるFWとしては満足のいかないシーズンが続いたが、チームの苦闘の軌跡をなぞり、体現するかのようなその姿は「ベルマーレのシンボル的存在」「象徴」と呼ばれるにふさわしいものであった。他のどの選手よりも、この苦しい期間の体験を共有してきたのだから、サポーターにとって最も親近感を抱かせる存在であるとも指摘しておこう。

今や、すっかり「苦行」イメージになってしまったヤスであるが、私にとって、より重要なのは、彼がかつてのJ1時代のベルマーレを知る最後の選手だということだ。もっといえば、強豪時代のベルマーレを知る選手でもある。
スポンサーの撤退というアクシデントに見舞われて2部で放浪したが、いずれまた檜舞台に戻るベルマーレの「復帰」プロセスにおいて、あの頃のベルマーレと、戻ってきたベルマーレを結びつける鎖、それこそが高田保則であるはずだったのだ。

その物語はもはや失われた。
前から薄々わかっていたことであるが、ベルマーレがめざす(べきな)のは、「復帰」ではなく「再生」だということが、明白に突きつけられたのだ。
既存資源に肉付けをしてチームを強くする「復帰」という方向性が立ち行かないことは、前園らを招聘した2000年シーズンの挫折で明らかであった。チームが本質的に生まれ変わる、「再生」する必要があるということもわかっていた。それでも「まだヤスがいる」と言うことが許されてきた。実質的には「再生」プロセスであるけれども、表向きの看板だけは「復帰」としてきたわけだが、それももう終わりだ。
これが、今回のヤス移籍についての私の感慨だ。言うまでもないが、彼がレンタルから復帰するとしても、この考えは変わらない。

…これだけ書いてしまうと、冒頭の言葉とは裏腹に、ヤスに対する「過剰な思い入れ」を認めざるを得ない。うん、認める。それを認めた上で、今回の移籍については、本人の判断を尊重する。横浜FCが適当かどうかは別として、ヤスが環境を変える、いい頃合いだと思うから。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
  • 三鷹牛蔵
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