田臥勇太よ、オレを倒してから行け!
田臥勇太と佐古賢一を比較しようというのが今回のお題。田臥勇太はNBAでの試合出場を果たした選手であるが、「それがナンボのもんじゃ」という思いを捨てきれないのだ。
佐古賢一は、田臥と同じポイントガードの選手で、日本バスケットボール史に名を残す選手だ。いすゞ自動車の中心選手としてその黄金時代を築き、いすゞ自動車の廃部後は、移籍したアイシンをJBL優勝に導いた。日本代表チームでも、佐古らが中心だった時代には、1998年世界選手権への出場を果たしており(アジア2位)、これは、悲観的な立場からいえば再現不可能な快挙である。
所属チームとしての実績を残しているというだけではなく、佐古のプレーには魅力がある。
ポイントガードであるからボール扱いに優れ、チーム全体を見渡してパスを配球し、ゲームをコントロールするのは当然として、それに加えて得点力があるというのが佐古の魅力だ。3ポイントシュートが打てるし、相手の隙をみたカットインも絶妙だ。とりわけ、試合の流れを左右する勝負所でその決定力を発揮するのだから、たまらない。
膠着状態に陥ったゲームで観客もみんな息を飲んでいる中で、その均衡を破る3ポイントを決め、虚をつくカットインをし、高いポジションのディフェンスから速攻を仕掛けチームを勢いづける。スターと呼ぶにふさわしい。
その佐古と田臥が相対したのは、JBLの2002〜2003シーズンだけである。ハワイから帰国した田臥が前年チャンピオンのトヨタ自動車に加わり、佐古がいすゞ自動車の廃部を受けてアイシンに移籍したシーズンである。
田臥は、新人王を獲得したもののチーム内でレギュラーの地位を確立したわけではなかった。そしてチームも、ファイナルまで進んだものの佐古を得たアイシンに初優勝を許した。「田臥もまだまだこれから」というのが衆目の一致するところだったと思うが、このシーズンで田臥はトヨタを退団し、NBAに挑戦することとなった。
田臥勇太は佐古を超えないままにNBAへと挑んだのだ。
現時点で田臥は佐古よりも優れた選手になったかもしれない、とは思う。でもそれは立証されていないのだ。田臥はNBAでプレーしたのだから(無条件で)佐古よりも優れている、などと考えるつもりは毛頭ないぞ。
現時点で田臥に求められるのは「負け試合でゲームのテンポを上げて追い上げムードを作る、もしくは相手を慌てさせる」といった限定された役割である(もっと酷な言い方をすれば「ゲームの帰趨が決まった後に主力選手がケガをしないように代わりにコートに出す選手」だったりする)。ゲーム全体を見通してチームメートをコントロールしたりする、ポイントガードとしての役割は求められていない。
いくら舞台がNBAといっても、そんな限定されたプレーしか見せない選手を高く評価できようはずがない。たとえNBAより小さな舞台であっても、ゲームの中で自らの能力を発揮し、観る者を感激させているのだから佐古のほうが印象が強いのは当然であろう。
もちろん、「田臥は佐古を倒してから行くべきだった」などと言うつもりもない。年齢的にも、アピールする機会を多く得るという点からも、1年遅らせていたら致命傷になっていたかもしれない。
異常に早いJBLの選手登録締切(5月だの6月だのには登録しなければならない)に従っていたらチャンスは一生来ないし、日本代表チームになんか参加していたらNBAのサマーキャンプなどのアピールする機会を失ってしまう。どうせどの道、JBLも日本代表も投げ打たなければNBAに挑戦することはできないのが今のシステムなのだから、早いに越したことはないのだ。
私だって、こんなことをウジウジ言いたくはないのだ。
田臥がクリッパーズで地位を確立して先発ポイントガードになれば、さっさと兜を脱いで佐古派から田臥派に乗り換えるってものだ。いや、2番手のバックアッパーでもいいよ。クリッパーズのヘッドコーチといえばあのマイク・ダンリービー。彼の眼鏡にかなうのならば、文句なしだ。
そうして、中継の増えるNBA放送を、ポップコーンをボリボリ食べながら観るのだ。「クリッパーズの中継ばかりじゃねえか」とか、そういう文句を言いたいので、田臥さん、どうかひとつお願いしますよ。
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