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2006年6月28日 (水)

リッピの誤算とヒディンクの誤算

 退場者を出しながら、試合終了直前のPK奪取で辛勝したイタリアだが、これを運が良かったと決めつけるのは間違いだ。オーストラリアは負けるべくして負けたのであり、その裏には両監督の誤算が錯綜する。最後の賭けに出られたリッピと、初めから切るカードすらなかったヒディンク。知将同士の戦いは、駆け引きにすらならずに終わったのである。

 何を隠そう、ワタクシが大会前に優勝を予想したのが、イタリアだった。その守備力は今さら語るまでもないが、攻撃に関してもバラエティに富むFW陣に、トッティという倒されないトップ下がいる。その上いつもと違うのは、ピルロという一本のパスを得点に結びつけられるボランチがおり、さらにカモラネージというドリブラーもいる。つまり、どんな展開でもゴールする手段を持っているところが、ブラジル、アルゼンチンあたりとは違う。別に褒めているのでも何でもなくて、仮に見応えのないつまらない試合展開になっても点を取れるチームこそ、イマドキのW杯でも勝ち上がっていけると考えたわけだ。
 しかしまあ、ネスタがいないとなれば、話は違ってくる。ここのところ散漫なプレーがめだつものの、今でも彼が世界一のセンターバックの1人であることに変わりはない。彼とカンナバーロが組んで初めて、イタリアの守備は鉄壁といえるものになる。マテラッツィという大馬鹿者とでは、比較にもならない。
 そのネスタを欠いたオーストラリア戦。トッティを休ませたいリッピ監督は、デルピエロを使って中盤をフラット気味にする作戦に出た。さらにドリブラーのカモラネージを使わずにペロッタを入れ、いわばリスクを負わずに勝とうとの魂胆が見え見えの布陣だった。
 ところが、体格で圧倒される右サイドのデルピエロは何もできず、ゲームの組み立てはピルロの手に・・・。率直に言って、前半は前がかりになるシーンが多く、ペロッタは再三飛び出しを試みたが、ピンチも多かった。左サイドバックのグロッソはリッピの望む基準には到底達しておらず、その裏を何度も脅かされた。
 イタリアにとって幸いだったのは、オーストラリアの攻撃力の低さだ。何人かを除けばまともな技術がないため、まともなサイドチェンジすらできない。オランダ人であるヒディンク監督にとっては、サイドを広く使いたいはずなのに、そのための人材が伴っていないのだ。ブレシアーノが一人で気を吐くが、キューエル不在ではサイドアタックが機能しない。日本戦を見てもそうだったが、結局のところ、彼らには中央に長身選手を張らせるぐらいしか、できることがないのだろう。
 煮え切らない前半を終え、先に動いたのはリッピだった。ジラルディーノをイアキンタに代えるというFW同士の交換は、積極的なものではあり得ない。その意図は、ジラルディーノを休ませることと、このままでも失点する可能性は低いと踏んだからだろう。いわば、ヒディンクに対して「戦術的には何も変える気がないことを示した交代」といえる。つまり、延長もあるトーナメントの緒戦にもかかわらず、あえて早めに一枚目のカードを切ったのは、ヒディンクにも早めにカードを切らせるためだったのではあるまいか。「このままじゃ点なんか取れねえぞ」というわけである。
 しかし、そんなリッピの見せ札を、大馬鹿者が台無しにする。マテラッツィこそはセリエA随一の悪役で、ミランのホームページで「シェフチェンコにヒジ打ちしているシーン」を流されてしまった男である。ネスタの控えとしてはあまりにもリスキーで、そいつがどかんと破裂してしまったわけである。あの場面、イタリアがカウンターを受けたのは確かだが、ザンブロッタは敵がシュートフォームに入った瞬間に止めるつもりだったろう。余りにも強引なスライディングは、敵を通り越してそのザンブロッタの脚を蹴るという荒技だった。首を振りながら退場する本人は「蹴ったのは味方の脚だ!」と言いたかったのだろうが、それもそれでどうしようもなく惨めである。
 これで慌てふためいたのは、リッピである。センターバックの退場となれば、2枚目の交代を切らざるを得ない。「この守備ならこのままで勝てる」と踏んだ矢先に、事態は一変してしまったのだ。ブラウン管に映し出された苦り切った表情に、11人対10人になった以上の意味を読んだのは、ワタクシだけだろうか。10人で守りきるとなれば、引っ込める札は決まっている。FWトーニを下げて、第4のセンターバックであるバルザーリを投入。これにより、ピルロは攻め上がりを自重せざるを得ず、攻撃はデルピエロ頼みにならざるを得なくなった。本来なら、ドリブラーであるカモラネージを入れたいところだが、30分の延長戦突入が俄然リアルになってきた中で、後半序盤の段階で最後の交代枠を使えるはずもない。監督にとっては、これほど頭の痛い状況もそうそうないだろう。マテラッツィが退場の常習犯であることは先刻承知だったわけで、あの段階では、最初の交代が悔やんでも悔やみきれなかったはずである。
 ところがだ。オーストラリアは攻守の切換えは腹が立つほどに遅く、中盤より下の選手にはカウンターに参加する気がまったくみられなかった。せっかくボールを奪っても、イタリアの選手が自陣に戻る前に、攻めきろうという姿勢は皆無で、それは10人対11人になっても最後まで変わらなかった。ハッキリ言って、一人多いアドバンテージを生かす気があるとは思えない戦い方だった。サイドアタックもできず、カウンターアタックも仕掛けず、結局は中央でのパワープレーに依存するのでは、以前と何が変わったのかわからない。ヒディンクにとっては、4年前の韓国代表とは似ても似つかず、切り札を持たない、つまらないチームだったに違いない。11対10という本来なら絶対的に有利な条件にありながら、たった一度の交代しか使わなかった事実が、それを雄弁に物語るのではないか。
 結局のところ、試合を決めたのはこのオーストラリアの消極さだった。後半30分、リッピはデルピエロに変えてトッティを投入する。唾吐き王子こそは、カウンターサッカーが生んだ最高の10番だ。当たりに強く、得点力もあり、それでいて球離れも良く、ダイレクトで裏を狙うパスを送る。この交代におけるリッピの意図は明快だ。90分で勝つ・・・優勝を狙うチームとしては、トーナメント緒戦で120分戦うことは避けたい。その意図を読んだ選手たちは、これまで自重してきた果敢なオーバーラップ(人数をかけたカウンター)に踏み切る。
 PKを獲得したのは、鉄壁のはずである守備に穴を空け続け(ブラシアーノにやられまくった)、しかも攻撃でもろくに奮わなかった(サイドチェンジするキックの精度すらないらしい)グロッソである。サイドバックである彼があの位置でボールをキープしていたことこそ、まさにオーストラリアとの違いを色濃く現すものである。仮にあのまま延長戦にもつれ込んでいたら、その段階で30分余計に戦うことが決まる。勝ったとしても、イタリアにとっては厳しかった。
 結果的に、ただでさえ恵まれていた準々決勝の相手(スイス対ウクライナ)が、延長戦までもつれこんだウクライナとなった。次でネスタが復帰できるかどうかはわからないが、リッピとしてはトッティ投入という賭けに勝ったと思っているのは間違いない。つまり、リッピはマテラッツィ退場の誤算を埋め合わせたが、ヒディンクの誤算は試合の前から起こっていた。ブレシアーノが不発、キューエルが負傷のオーストラリアは、乗りこなしようのない三流馬だったに違いない。試合後の彼の表情は、むしろ晴れ晴れとしたものにさえ見えたものだ。もっとも、掛け持ちでオーストラリアにグループリーグを突破させたのだから、自らの価値はまた上がったと思っていたのかもしれないが。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
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