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2006年8月30日 (水)

各駅停車発言の真意〜オシムの船出(3)

 これまでの2試合は、いずれも勝利。内容はさておき、結果だけは上々といえるはずなのだが、オシムはあからさまに不機嫌だ。イエメン戦の会見に至っては、「皆さんも不満だろうが私も不満だ」と有無を言わさぬ発言まで飛び出した。先日発表された遠征メンバーのことなどそっちのけで、今さらながら各駅停車発言の真意は何なのかを考えたい。

 まずはリニダードトバゴ戦を振り返りたい。召集からはわずかな時間であったが、戦術的な意図を明確に感じる試合内容だったと思う。第一に、ジーコ体制ではまったくみられなかった中盤で早めにボールを奪う動きがみられたのは、好ましい。その際、鈴木がDFラインにまで下がって逆襲に備える姿勢をみせたが、あれお戦術的な約束事だったのは明らか。第二に、両サイドバックにオーバーラップを許し、背後は長谷部、あるいはセンターバック二人(坪井、トゥーリオ)のうちのどちらかが開いてケアしていた。これもまた、ジーコ体制ではみられなかったもので、リスクを犯して攻めようとする意図がはっきりしていた。結果的には、左の駒野より右の田中隼磨の方が高いポジションをとったが、これはむしろ三都主が中央に流れてくるケースが多かったためだろう。久しぶりに、戦術的レベルで好奇心をくすぐられる一戦だったといえる。

 ところで、この試合でとにかく気になったのが、先にも挙げた三都主のポジショニングである。彼は左サイドのアタッカーではなく、明らかにトップ下(というか、つまりこの前までの中村俊輔の役割)のように振舞った。2点目はそれが得点に結びついたものだが、ハッキリいってあの動きはオシムのコンセプトに沿ったものではなかったと思う。

 ここであえて振り返ると、あのとき、中盤の底にまで「出張」していた三都主は、駒野がボールを持った途端に走り出した。表面的には、連動性のあるプレーということになるのかもしれないが、状況を良く考えてみよう。三都主があの位置にいたのは、DFラインにまで引いてボールを受けようとしたからだ。しかし、サイドアタッカーがパス回しに加わることは、機動性のある攻撃を志向するオシムのコンセプトには反している。本来であれば、彼は駒野の正面=左サイドに駆け上がっているべきはずだった。つまり、駒野にしてみればパスの出しどころがないから仕方なく、ゴール前へのパスをねらったわけで、そこに入り込んだのが当の三都主だったに過ぎない。しかも、あのパスは、左サイドに我那覇が流れる動きをみせたからこそ通ったもの。そう。三都主が空けていたスペースを我那覇が使おうとした結果、敵がそれにつられたのである。

 仮に、飛び出したのが三都主ではなく長谷部であれば、オシムはさぞ喜んだことだろう。しかし、中盤の選手がDFラインにまできてボール回しに加わるのは、いかに前線での動きが少ないかを示すものだ。それは、ジーコのチームで嫌になるほどみせられた光景で、オシムのめざすところでは絶対にない。ボールを奪ってから早く攻め込むために最も有効な手段は、サイドアタッカーがとっととサイドを駆け上がることに他ならないからだ。実際、後半以降の三都主は、明らかに左サイドに張り付くようになった。常識的に考えれば、ハーフタイムに監督から何らかの指示があったとみるべきだろう。

 さて、試合の全体的な印象はというと、ちぐはぐながらも、ジーコのチームにはみられなかった果敢さをみせてくれたと思う。それでも試合後のオシムは、「気がかりだったことは、今日の試合で90分間を走ることができない選手がいたことだ」と運動量に不満を述べた。どの選手を指したのかは今ひとつ分からないが、いえることは、それが対戦相手との相対的な比較に基づいた発言ではないということだろう。あくまでも、彼がめざすサッカーを実現するに当たり、持久力の面で物足りない選手がいることを指摘したに過ぎない。この点は、前任者とは大きく異なる。ブラジル相手に善戦したから良かった、格下相手に攻めあぐねたからダメだった、などという素人じみた自己評価を繰り返したジーコとは、比べ物にならない会見内容だったと思う。

 ところで、今日の試合の大事な教訓として語った・・・「日本人のサッカーを考えた場合、筋骨隆々の選手や長身の選手がいないという中で、相手よりもどれだけ多く走れるかというところが勝負になる」との言葉は、非常に心強い。なぜなら、それはオシムにとっての教訓ではなく、マスコミを含めた我々にとっての教訓なのだから。前回も述べたように、あのオヤジは協会、マスコミ、ファンの3者を再教育するつもりでいる。おそらくは、そうでなければ代表は強くならないということなのだろう。クラブチームに比べ、代表にはトレーニングの時間がまるで取れないが、その分、オシムは別の方法で代表を強くしようとしているのだ。

 続く2戦目は、アジアカップ予選のイエメン戦である。マスコミは最初の公式戦だと騒いだが、相手は明らかな格下であり、例によって例のごとく、べた引きのカウンター狙いをしてきた。相手GKが、中東勢お得意の無意味な時間稼ぎをこれでもかというほど披露してくれたのも、極めて興ざめだった。しかし、むしろ見慣れた退屈な展開を何とかしようというのがオシムのめざすところであり、「考えながら走るサッカー」というのはそういうことだろう。何より、今や強豪チームであってもべた引きは戦術の一環であり、これを崩す力がなければ、日本が強いといえる日は永遠に来ないといえる。

 結果からいうと、日本は30本を超えるシュートを打ちながら、セップレーからの2得点にとどまった。前半はとくにひどく、ボールは持っているものの効果的な攻撃はほとんど繰り出せなかった。攻撃のタクトを振るうはずの三都主と遠藤は、ジーコの負の遺産を余すところなく見せつけてくれたと思う。

 彼ら二人は、味方から足元にボールが届けられるのをひたすらに待ち、届いたら届いたで周囲を見回してありもしないパスコースを探し続けた。しかし、べた引きの相手にそんな悠長なことをしていても、パスコースなど生まれるはずもない。結果的には、味方の動き出しを待つことになるわけで、要は「俺がボール持ったんだから、おまえら動け!」という話にある。なんとまあ、えらそうな態度ではなかろうか? これが当たり前だったのがジーコのチームであり、それを良しとしないのがオシムである(初めに言ったように、だからこそジーコを辞めてオシムを選んだのだとは協会は一言も言わないのだが・・・)。

 こう考えれば、前半のふがいなさが必然だったことがわかる。漫然とボールを回していても、引いている相手からスペースをつくることはできない。あのとき選手たちがすべきだったのは、ボールを受ける前に味方の位置を把握しておくことだ。受けたボールをダイレクトではたければ、虚をつかれた相手のマークはずれるし、その結果、スペースが生まれたり、フリーになる可能性が高まる。少なくとも、足元から足元へとボールを運び続けるよりは、はるかに合理的なプレーである。それこそが、「考えながら走る」の「考えながら」の部分だろう。なぜならべた引きの効用は、ゴール前を固めるとともに、スペースを与えないことにある。あれだけ引かれていては、闇雲に走ったところでチャンスなど生まれるはずもないのだから。

 ところが、イエメン戦の前半、ボールが来る前に周囲に首を振っていた選手のなんと少なかったことか! メディアはスタメン2トップの不発を槍玉に挙げたが、ワタクシが見た限り、前半、ボールがないところで最も首を振っていたのは田中達也に他ならない。その点を指摘せずに彼を非難するのは、あまりにもアンフェアだと思う。

 後半になると、オシムはジェフの選手を投入し、中盤の活性化を図った。結果的にはそれが功を奏したといえる。しかし、試合後の「DFラインでのパス回しが各駅停車だった」という発言は、ここに起因するのだろう。確かに、DFラインでたらたらやっているから、中盤が動き出しようがなかったのは事実ではある。ところが、同時に彼は「ジェフの選手が入ってよくなった」ことを認めたくないのだ。国内のクラブチームから就任した経緯からすれば、当然の配慮であろう。現段階では、当然ながらジェフの選手たちの方がオシムの狙いをより理解している。例えば、「言われたことをやるのではなく、指示の狙いを成し遂げればいいのだ」と彼らは知っている。だから、「左サイドで三都主と2対1の状況をつくれ」と言われて送り出された羽生は、平然と右サイドに流れてチャンスをつくった。

 また、先にも少し触れたが、オシムはサイドのMFがDFラインに入ってパス回しに加わることを快く思っていない。実際、トリニダードトバゴ戦では散々みられていたこの手のシーンは、イエメン戦で明らかに修正されていた(それこそが持ち味である遠藤が消えてしまったのは、必然だろう)。しかし、結果的には、それがDFラインでの各駅停車につながったことも否定できない。坪井や闘莉王(さらに鈴木啓太もそうだ)は、浦和レッズにおいてそんな役割を求められていないし、そもそもそれができる技量がない。この点は、ジーコ時代の宮本・中澤コンビと異なるし、トルシエ時代のフラット3とは明らかに違う。トルシエはDFラインからの速攻を志向し、フィード力のないDFを起用したがらなかった。秋田を使わなかったのが、その最たる例だ。ジェフを見る限り、オシムはそこまで極端ではないのだろうが、今後の修正は十分あり得るのだと感じた。先日のメンバー発表では、DFのメンバーをいじらないことが明らかになったが、今後はわからない。ただし、闘莉王へのオシムの評価は非常に高いと思う。ヘディングにメンタル、そして何より、彼以上に「リスクを冒す」センターバックは、日本にはいないのだから。

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  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
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