石原直樹はエースの重責を担えるか/鈴木良和に関する感慨
2005年までベルマーレに在籍していた鈴木良和が水戸ホーリーホックと契約して最初の、リーグ戦における対戦となった。一時期のベルマーレの強化方針を象徴する選手であり、私も好きな選手だが、恒例の「お礼参り」(移籍した選手がベルマーレを相手にするとゴールを決めるジンクス。洪明甫のJ初ゴール、名塚善寛のJ1昇格ゴールなど数多い)を見せられるのかと恐れながらの観戦となった。
(2006年9月30日 湘南ベルマーレ1―0水戸ホーリーホック 平塚競技場)
J2降格や新会社への移行などでゴタゴタしていた時期、ベルマーレはスカウト活動を停止していたらしい。それを再開して最初の獲得選手と言ってよいのだろう、鈴木良和は、以後のスカウト活動のシンボル的な存在であったと思う。
推測であるが、身長が低く、他チームとの競合になりにくい選手を積極的に獲得し、積極的に起用していたのだ。2001年の鈴木良和、2002年の中島崇典(現横浜FC。そんなに小さくないけど)と2年続けて高卒ルーキーが開幕戦で先発起用され、加藤大志も1年目から起用されていた。2002年途中に移籍してきた熊林は天下のジュビロにスカウトされた選手だから同列に論じるのは無理があるかもしれないが、この時期、熊林、鈴木、加藤という身長170センチ未満の選手が3人同時にピッチに立つこともあったわけで、当時のチームの方針でそれをよしとしていたのだろう。
まあ、外から見ているだけなので確かなことは言えない。小さな選手が揃ったのは「良い選手がたまたま揃って小さかっただけ」なのかもしれない。
で、今日の鈴木良和だ。前半は私の席からは遠くてよくわからなかった。後半は右サイドでのプレーよりも、センターの空きスペースへの飛び込みがタイミングよく、うまくやれば得点につながりそうな気配がした。だから途中で下げるのは惜しいような気もした(交代で入った兵藤は右サイドでビッグチャンスを作ったから、それはそれでよかったのだろう)。
鈴木良和のプレーで私が好きなのは、相手選手を背負った形でボールを受けて、素早い反転で抜け出すプレーなのだが、そういう形はなかったと思う。水戸の戦術ではビルドアップして組み立てることが少ないので、今後もそのプレーは見られないかもしれない。それは残念な点だが、上記のようなセンターでのプレーは水戸サッカーにおいては今後も頻繁に見られるであろうから、楽しみだ。
懐古談やらが長くなった。今日の本題は石原直樹についてだ。
今シーズンのMIP(Most improved player)は石原で決定的だが、彼は早くも次の壁に当たっているようだ。今までは1人のFWとして得点をねらえばよかったのだが、この試合では、エースとしてのプレーが求められ、それに戸惑っているように見えた。
具体的には、裏を狙って待っている石原が予測し、期待しているタイミングとは異なるタイミングでパスが出され、相手DFも石原をしっかりマークしているため、その対応に苦慮しているように見えたのだ。確かにパスの出し手にも言ってやりたいことはあるが、多分これがエースへの期待なのだ。「苦し紛れのパスだけどなんとか上手くやって」と、そういうメッセージなのだろう。
で、今日の石原はほとんど何もできなかった。永里源気がポスト気味にボールを受けにいって石原は裏を狙っていたのだが、裏のスペースは使えなかった。「石原に合わせたパス」はほとんどなく「石原が合わせるべきパス」が多かった上に、水戸DFも石原から目を離さずにいたことも要因だろう。
確かに難しいシチュエーションだが、それを打開するのがエースの役目だ。マークの緩い2番手FWとして結果を出せることは既に立証済みなので、これからはエースとしての仕事をしてもらいたい。「J1チームが放っておかない」とかいう声も聞こえてくるが、移籍するのはエースの重責を担えるようになってからでも遅くないと思う。ベルマーレに残ればエースとしての経験を積み、勉強することができるが、J1チームではサブ要員だ(柿本倫明の現状を見よ)。だから来年もベルマーレに残留して、さらに大きく成長してから考えた方がよい。是非とも残って欲しいものだ。って、最後は懇願になっているワタクシなのだが…。
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