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2007年3月28日 (水)

ジョーカーが喜んで脇役を――ペルー戦にみたオシムの理想

 2人のゲストは、十二分に存在感を示した。1ゴールの高原に、2アシストの中村。「ワン・フォア・オール」を叩き込まれてきたチームメートの中にあって、彼らの「自己主張」は効果的に作用したといえる。海外組召集という転換点を理想的な結果で乗り越えたオシムジャパンにとって、これからが本当の戦いになる。めざすは、ジョーカーが活きるチームではなく、「主役と脇役の違いがない」サッカーだ。

 これまで「純国産仕様」を続けてきたオシムにとって、ペルー戦は下ごしらえのデキをみるための転換点だった。高級だが強烈なスパイスは、時に素材のすべてを台無しにしてしまう。試合の勝敗以上に、高原、中村の持ち味が活かされるかどうかこそが、問われるゲームだった。
 結論からいえば、オシムは賭けに勝ったといえる。高原は思い切りの良いシュートを決め、時にひとりよがりになりがちな強引な突破は、チームの武器として機能した。一方の中村も、期待通りにセットプレーからの2アシストを決め、キッカーとしての核の違いを見せつけた。サイドチェンジやスルーパスでもキックの多彩さを披露し、パスコースを探すうちにボールを失うような場面もほとんどなかった。二人の活躍に、オシムもほくそ笑んだに違いない。

 高原の持ち味は、ポストプレーから単独突破までこなす器用さを持ちながら、失敗を恐れずに強引な突破を仕掛けるところにある。それは本来、ヨーロッパ各国では典型的なストライカーの姿であり、多くの「引き出し」を持っているがゆえ、時に繰り出される突破が大きな武器となる。しかしジーコ時代の彼は、スローな攻撃のなかで無理な突破を試み、むざむざボールを奪われるシーンばかりを、我々に提供してきた。実力は高く評価されながら、得点力不足の戦犯に挙げられてきたのは否めない。そんな高原が、ペルー戦では最も輝いた選手となった。
 オシムの「走るサッカー」は、ボールタッチを少なくし、選手が動き続けることで相手のマーキングに隙をつくる。果敢なオーバーラップは、敵陣のスペースが埋まる前に攻め倒すことと、相手の守備陣形に揺さぶりをかけることを意図している。相手DFの意識は分散せざるを得ず、前線にいるFWにとっては、目に映る以上に自由度が上昇する。
 つまり、相手DFは、2トップの動き以外に、他の選手が果敢に上がってくることを考慮しなければならなくなる。例えば、高原がボールを持ったとき、正面に立ちはだかるDFは彼に集中すればよい。ところが、その周囲にいるDFにとっては、次の瞬間の対応を悩まざるを得なくなる。巻の動き出しをケアすべきか、あるいは他の日本人選手のオーバーラップに備えるべきか、それともやはり、高原をつぶすために2対1の状況をつくるべきなのか――。相手DFが選んだ選択肢によっては、高原の突破は「特攻」ではなく、相手の不意を衝いた合理的なチャレンジとなる。
 本来なら、こうしたFWと2列目ないしサイドバックとの連携こそが「攻撃の基本型」であるべきなのだが、日本代表ではここ何年も敬遠されてきた。そうした中で、多くのFWは無理な突破でボールを失うことを恐れるようになっていったのである。
 理由は2つ。第一に、得点力不足を揶揄され続けられることで、FWたちは絶えず「結果」を求めるようになった。ゴールという「確率の低い結果」ではなく、失敗をしないという「無難な結果」をである。レギュラーを約束されない選手たちの多くは、どんな形でもいいからゴールすることを望み、その結果、自らチャレンジするよりもチャンスを待つようになっていった。
 そしてもうひとつ、中田英寿という「権力者」が君臨するなかで、彼らが否応なくその理想につき合わされてきた点も大きい。つまり、サイドへの展開よりも前線への性急なスルーパスを狙う中田の存在により、多くのFWは自ら突破を仕掛ける機会に恵まれず、裏を狙って飛び出すプレーを狙わざるを得なくなった。体格面で劣る日本人FWにとって最も効果的なスタイルだとは思うが、結果的に、FWたちが必要以上に不自由さを強いられてきた感も否めない。02年W杯以降、パサーを重視するジーコが就任するに至り、その不文律は掟になってしまう。そして、天然である久保や大久保を除けば、無理な突破を試みる「確信犯の反逆者」は高原だけとなった。
 オシムは、その反逆者をヒーローに変えた。ペルー戦、相手陣内の中央でボールを得た高原は、敵のDF3人を正面にしてあまりにも強引な突破を仕掛けていった。巻がパスを受けようと移動したにもかかわらず・・・というより、その巻の動きを見た瞬間、意を決したように、だ。まるで、自分の背後から駆け上がってくる味方の足音が聞こえたかのように。あるいは、ベンチで拳を握り締めて吠えたオシムの声が聞こえたかのように。

 これまで汚名を浴びせられてきたことは、一方の中村にしても変わらない。ジーコは確かに彼の能力を高く買っていたが、その実、あまりにも無理解だった。彼の持ち味である多彩なキックを活かすためには、フリーでボールを受けられる場所に走りこんでくれる味方が必要なのはバカでもわかる。ペルー戦では、そのわかりきった事実が何度も証明された。
 中村の背中を追い越していった味方は、彼の選択肢の多さと視野の広さを証明し、同時に敵の注意を惹きつけ、彼が魔法の呪文を唱えるための少しの時間を稼いでくれた。ジーコ時代のように、「ポストプレー」をこなす必要はまったくなかった。ただでさえキュークツな前線で、頑健なボランチを背にして味方の上がりを待つというような仕打ちを受けることは皆無だった。両サイドバックはすかさずオーバーラップを図り、鈴木啓太は彼の逃げ道(バックパス)を確保する。そして途中出場したもう一人の中村は、かつて名波に見出したような安心感を抱かせたかもしれない。

 高原と中村がハマったことは、オシムの深謀遠慮の正しさを証明する。海外組を呼ばずに引き伸ばしてきた時間は、決して無駄ではなかった。例えば、ペルー戦のスタメンに何人、「ジーコが選ばなかった選手」がいただろう。一度も声をかけられなかったのは闘莉王、鈴木の2人だけで、W杯で外れた阿部を含めても3人に過ぎない。それでもオシムは、まったく異なるチームを示して見せた。あえて邪推すれば、①宮本はDFの要として物足りず、②中田、中村、小野の共存などあり得ず、③水を運ぶ選手(鈴木、また阿部もか)が必要だったということか。意図してこのメンツをレギュラーに据えたのだとすれば、それはそれであまりにも露骨なチョイスだが・・・。

 さて、結果的に、二人の活躍が試合を決めたわけだが、喜ぶべきところは別にあろう。例えば、右サイドに流れた高原が、ニアに走りこむ中村に合わせようとしたグラウンダーのパス。あるいは、中村憲剛にダイレクトのミドルシュートを打たせた中村のワンタッチパス。ともにゴールには結びつかなかったが、それぞれ欧州の強豪リーグでみられる得点シーンであっても、おかしくない好プレーではなかろうか。つまり、本来はジョーカーである彼らが「喜んで」脇役を果たす環境さえあれば、こうしたプレーも難しくない。問題は彼らがそれを喜んでできるかどうかで、ペルー戦での彼らは、自らのプレーを見せられないまま悶々としてきたジーコ時代とは、明らかに違った。チームのために全員で守る戦術が常套手段として存在する以上、少数のために多数が犠牲になるチームより、全員が味方を巻き込んで自らのプレーをするチームのほうが強いに決まっている。退屈な現代のサッカーで攻撃的であるためには、味方を使うことと、味方に使われることを限りなく等しくする必要がある。オシムのめざす理想はたぶん、そういうものなのだと思う。

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  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
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