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2007年9月17日 (月)

指揮官への反乱なくして反町ジャパンに未来なし

 反町は、まるでどこかの国の首相のようだ。選手の首をすげ替えることで、状況の打開を図り、何かを成そうとする。しかし、彼が選手に突きつける「結果こそすべて」という姿勢は、むしろ自分にこそ向けられるべきものだろう。代表監督は、選抜者であって試験官ではない。チームのふがいなさを嘆く前に、彼は教育者オシムに学ぶべきなのだ。

 「強い気持ちを持って……」。U-22代表の選手たちが、まるで呪文のように繰り返すこの言葉はいったい何なのだろう。マイクを向けられた彼らは、驚くほど一様に「気持ち」について語るのだ。それがあれば、チームの勝利は疑いないものになるとでもいうように。
 考えられることは、ひとつしかない。それは彼ら自身の言葉ではなく、彼らに対して影響力を持つ他の誰かの言葉だということだ。絶対者である指揮官に「強い気持ちを持って戦え!」、「おまえらの気持ちを見せろ!」とやかましく言われれば、「イマドキの若者」の中には、欠かせないキーワードとしてインプットされるのだろう。
 しかし、メンタルの必要性を強調するその姿勢に、ワタクシはある種の傲慢さを感じずにはいられない。テクニックとフィジカルなくして試合の指導権は握れず、戦術とインテリジェンスなくして勝利は望めない。それが、サッカーの変わらない“ルール”である。気持ち=メンタルの差は、これらが相手と互角かそれ以上であるときにこそ、問われるはずなのだ。あるいは実力が明らかに劣っているため、気持ちぐらいでしか勝負にならないというなら別だが、アジア予選の段階で、よもやそんなこともあるまい。

 反町の率いるU-22代表は、率直に言って面白くない。なぜなら、選手たちはまるでロボットのようだからだ。プレーにアグレッシブな姿勢はひとつも感じられず、セーフティーな選択を繰り返す。ボールを奪っても反撃を恐れて速攻を控え、敵がそのまま自陣を固めるのをよしとする。結果、DFラインでボールを回すことになり、結局は無理な楔を入れてボールを奪われる。水野などが時折、無理なシュートを試みるのだが、得点の匂いはしないし、そもそもカウンターによる逆襲を警戒しての攻撃には、相手もさしたる脅威を感じてはいないはずだ。むろん、見ている我々にとっても、緊張とは無縁である。
 何より驚かされるのは、試合中の会話の少なさだ。プレー中に声を掛け合う姿はほぼ皆無で、決定的なピンチを凌いだ直後でさえ、味方を叱咤する者はいない。ちぐはぐなダイレクトプレーを繰り返しながら、完璧なコミュニケーションが存在していると主張しているかのように。
 例えば、12日のカタール戦。試合開始早々に得点し、1-0という状況だったにもかかわらず、前半22分にボランチの本田拓也が警告をもらった。カウンターを受けた場面ではあったが、自陣で3対1の状況であり、それを見越した敵の選手たちはオーバーラップを自重した。むろん、慌ててボール保持者に対応した本田には、そこまでは見えていなかったに違いない。しかし、仮に後ろから「無理をするな」と声が飛んでいれば、無意味にイエローカードをもらうこともなかったのではないか。ジャッジが微妙だったのも確かだとは思うが、アジアでの基準が厳しいのは今さらいうまでもない。アジアカップにおいて、阿部がとられたファウルを忘れたわけでもあるまいに。
 チームの欠点を露呈したこのプレーは、今にして思えば痛恨の一事となった。後半11分に負傷退場した梶山が骨折し、さらに本田が2枚目のイエローをもらって退場。次節は、チームの要であるダブルボランチを欠くことになる。

 結局のところ、反町のチームには理想がないのだろう。Jリーグの監督をしていた時代から、そうだった。選手間のコミュニケーションの良さだけがとりえで、それ以外はまるでイタリア代表でもめざすかのような退屈なサッカー。現在のU-22代表では、能力の高い選手を揃えた一方で、選手間の連携すらなくなってしまった。チームスポーツであるサッカーの特性は無視され、個と個の呼吸が合ったダイレクトプレーなどは最初から求められていない。選手たちのプレーは、常に自分ひとりで完結してしまっている。選手たちの目標は、オリンピックに出ることで、それ以外の何ものでもないのだろう。過程はどうあれ、チームが出場権を獲得し、メンバーから外されなければそれでいいと思っているようにすらみえる。
 実際、決定力不足を嘆き、選手に奮起を促す反町は、戦術ではなく選手の首を挿げ替えることで解決を図ろうとしてきた。これまでのFW陣の変遷をみれば、それは明らかである。列強とわたり合うためのデカさを持つ平山に固執する一方、カレンロバートは捨てられ、李忠成はベンチを暖める。U-20W杯が終わった今、デカモリシを抜擢して先発させ、さらにイタリアで好調が伝えられる森本にまで色気を出しているとか。これでは、ほとんど恐怖政治だ。選手が監督の顔色をうかがうのも無理はない。選手たちが口にする「強い気持ち」という言葉は、恐らくはミーティングやロッカールームで反町が口酸っぱく語る言葉なのだろう。
 しかし、今や舞台から降りるべきは、不満分子を断頭台に送り続けてきたロベスピエール=反町のほうではないのか。ゴールを決められない選手が「失格」だとすれば、彼らを選んだ監督もまた「失敗」を繰り返しているのに他ならない。本人は、オシムと同じような姿勢を示しているつもりなのかもしれないが、現実はまったく異なる。また別のところで書くかもしれないけれど、オシムはあのイレギュラーなメンバー発表で、Jリーガーたちに緊張感を与えている。教育の一環として、のん気なJリーグでは得られない緊張感を用意し、競争意識を煽っているのだ。だから、オシムは自ら口にするのとは反対に、点を取るか否かなどという基準で選手を捨てたりはしない。誰にでも、チャンスは再び与えられる。派手なメンバー発表のパフォーマンスから受ける印象とは異なり、彼がこれまでに選んだ選手の顔ぶれが非常に限られている事実がそれを証明する。何より、得点力の向上を戦術的に解決しようというオシムの姿勢は、選手にも十二分に伝わっているはずである。
 例えば、オシムが大久保を外すのは、彼のプレーぶりによるはずだ。強引な突破とひとりよがりなシュートは、相手DFとの実力差に最も左右されるプレーだ。同じことを欧州や南米の強豪相手にできるのかと問われれば、答えは明らかである。はっきり言ってしまえば、彼は世界で通用する選手になる可能性を自ら捨ててしまっている。少なくともオシムには、そう見えているのだと思う。田中達也と比べたとき、いつどのタイミングでシュートにいくか、どんな状況でドリブル突破を仕掛けるべきか否かといったプレーの選択の部分で、大きな差があるといわざるを得ない。それは、口で言って伝わるものではなく、自ら気づかなければならないことなのだ。
 ひるがえって反町はというと、まるで試験官のごとく振る舞ってはいないだろうか。テストを出しては、「できないのはお前が馬鹿だからだ」と突きつける。しかし、テストをつくっているのは反町ではないのだ。得点するか失点するか(あるいは勝つか負けるか)は本来、監督である反町にとってのテストであろう。戦術的な解決ではなく、選手を変えることで結果を求める姿勢は、日本代表の監督としては決してふさわしいものではない。日本はブラジルでもフランスでもないわけで、国内で最も良い選手たちを集めたからといって、列強に匹敵するチームができるはずもないのだ。その意味で、反町の態度は最低最悪の責任転嫁といってもあながち間違いではないだろう。奴こそ、オシムから学ぶべきなのだ。

 余程のことがない限り、U-22代表は北京五輪への出場を果たすだろう。個人の能力だけをみれば、サウジやカタールは敵ではない。というより、その点だけをみれば、フル代表のメンバーと比べてもさほどの差はないともいえる。例えば水野、本田圭、家長、内田などの技術とセンスは、大きな可能性を感じさせてくれる。
 しかし反町の限界は、本大会で露呈するだろう。同等以上の相手と戦ったとき、彼らはコンビネーションというものの価値に直面するはずだ。むろん、本番を迎えるまでにはまだまだ時間はあるが、試合や合宿の機会は限られている。予選突破がみえてきた今からでも、本番での戦いを踏まえて予選を戦うべきではないのか。例えば、オシムがアジアカップを「チームを醸成する場」としたように。
 しかし、安定志向の反町に(というより協会お気に入りのすべての日本人監督に)、そんな方向転換はできないだろう。むしろ、ワタクシは選手たちによるテルミドールの反動を望む。無能な指揮官を断頭台に送り込むことは不可能だとしても、面従腹背で生まれ変わればいいのだ。五輪本大会での活躍は、反町の手柄になるのかも知れないが、もし彼らが2010年W杯をめざすのならば、指揮官と心中するのは合理的ではない。アフリカでの指揮官が、反町になるということはないのだろうから。

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 オシムのコメントは相変わらず的確に思えるのだが、それをきちんと汲めるだけの理解力が受け手側には足りないのか――。本田と大久保がエゴイストだったという意味は、「効果的な攻撃をするために何が必要なのか」を問うているのであって、彼らが頑張っていないとか、そういうことはまったく言ってない。オシムは、エゴイズムの先に未来はない、と言っているだけだ。本拠地の方で「3戦続けてあれを前線に強いるのはあんまりだ」と書いたばかりだが、要するに彼らは我慢できなかったのだろう。... [続きを読む]

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
  • 三鷹牛蔵
    高スポの陰の支配者。湘南ベルマーレを愛する先天性ジャパニーズ。

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