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2008年4月30日 (水)

未だ見えぬ岡田ジャパンの攻撃

 今月末のキリンカップで、岡田ジャパンが再始動する。これに先立つ代表候補のトレーニングキャンプでは、多くの新顔を招集してモデルチェンジの意図を明確に示した。監督自らオシム時代との決別を表明したとの報道も聞かれるなか、ここまでの岡田ジャパンを振り返る。

 就任以降の岡田ジャパンの戦いぶりは、とても期待された水準以上とは言い難い。オシム時代からの転換を模索しているらしいことはうかがえたものの、戦術はどっちつかずで、選手間にも混乱を招いているように見受けられた。様々なフォーメーションが試される一方、指揮官が変わってこれ幸いとボールを持つようになった選手もいれば、ワンタッチで速攻を演出することに固執する中村憲剛のような者もいる。チームとしての共通理解はみられず、いかにもちぐはぐなプレーが繰り返された。
 むろん、公平にみれば考慮すべき事情がなかったわけではない。ケガや試合日程の影響により、オシム時代の主力を呼べない試合も多かった。しかし、タイトルを期待されていた東アジア選手権が、みるところもなく終わったのは紛れもない事実。結果は批判を受けるに十分なものであり、ピッチで繰り広げられた試合内容にも、まるでかつての同級生たちが草サッカーに集まったかのようなヨソヨソしさが感じられた。
 敵地で敗北を喫したバーレーン戦後、岡ちゃんは「オレ流」を宣言したらしい。報道のすべてを真に受ける気は毛頭ないが、自陣でのプレッシングの手法をルール化するとのことだ。先月末に行われた合宿では、4バックを採用し、中盤の選手へアプローチの仕方を指導したとか。マンツーマンを基本とするオシム戦術からは、確かに一皮向けた印象を受ける話である。
 しかし、守備以上に問題なのは攻撃ではないだろうか。日本代表が長年抱えてきた弱点は、ゴール数がポゼッションに比例せず、さらにボールタッチ数がシュート数に比例しないことに尽きるだろう。決定力のあるFWがいないなかで、これは致命的になる。なるほど、プレッシングによって高い位置でボールを奪うことはひとつの対策にはなり得るが、それは本質的な解決策とはなり得ない。大久保や山瀬のような「数打ちゃ当たる」シューターに依存する攻撃には、不安を覚えずにはいられない。

 思えば、プレッシングによって攻撃面のフォローを図らんとめざしたのは、フィリップ・トルシエだった。彼は当初、極めて高いディフェンスラインによる果敢な戦術をちらつかせたが、攻撃面で明確な指針を打ち出せないまま、各国との戦いを経て守備への比重を上げていった。一方、攻撃面(あるいはすべて)を選手に委ねたのがジーコだった。しかし、彼の自由放任主義は選手の自律やチーム内の共通理解の構築には結びつかず、むしろ日本人スター選手たちの個人能力の限界を露呈させたといえる。
 こうした流れのなかで、敵陣でのダイナミックなポジションチェンジに活路を見出そうとしたのが、オシムの戦術だったはずである。それゆえに彼は、「準備が整ったうえでの守備」を前提としない。システマティックなプレッシングではなく、突発的な逆襲に対応するには1人1殺でなければならないのだ。「相手の攻撃をどのような形で受け止めるか」を考えていたら、敵陣で自由に動くことはかなわない。評価が下る前に彼のチャレンジは終わったわけだが、多くのファンに期待を抱かせたのは間違いないだろう。

 代表監督に返り咲いた岡ちゃんには、こうした流れを受けての「答え」が問われるはずだ。オシムの遺産を受け継がないというのなら、そうでなければならない。しかし現時点で、岡ちゃんの意図する攻撃は一向に見えてこない。先にも述べたように、選手の意図がバラバラという印象はぬぐえない。
 例えば、お家芸である「早めにFWへ当てる」というやり方を実践しても、トップ下の山瀬にはFWがボールを落とせるポジショニングをとろうという意図はうかがえない。また、ある試合では明らかに「ボールを奪ったらワンタッチで前線へ送る」というやり方を中盤が徹底していたが、FW側では相手のマークを引き剥がすのもおぼつかず、かといって敵を背にして前を向ける強さもなかった。これまでの戦いに関する限り、攻守の切換えはまったく機能していないといえよう。監督の指示があったのかどうかはわからないが、今では速攻を狙うパスにチャレンジするのは中村憲剛のみになっており、失敗を恐れてあえて「各駅停車」を選ぶ姿も散見される。
 サイドから攻める意図もとくに感じられない。岡ちゃんが抜擢した内田は、いまやオーバーラップするタイミングを見失っている。敵陣にスペースがなくなってから上がり、クロスにまで至らない場面が多すぎるのだ。安田にしたところで、積極性がめだった試合もあったが、中盤で使うのは難しい。根本的に4バックでのポジショニングがわかっていないし、味方のフォローもなく単独で打開できるほどの選手ではない。彼ら若手の思い切りを生かすためには、何よりチームとしての連携が必要だ。
 恐らく岡ちゃんは今後、守備面での戦術の完成を優先していくのだろう。オシムとは違う道を歩むとしたら、それは合理的な選択だ。実際、安定的な守備を構築するには、彼以上の人材は日本にはいないかもしれない。
 しかし観戦者である我々としては、しばらくは選手個人がいかに考え、チームとしての指針をつくっていくかを見守るしかないだろう。中村憲剛にしても内田にしても安田にしても、ワタクシは大いに期待している。彼らは、未だ手探りのチームの中で、攻撃への意思をはっきりと主張しており、彼らが切磋琢磨していくことで、攻撃の引き出しも増えていくのだと思いたい。鈴木啓太のように汚れ役を厭わない男もいるわけで、決して無理な話ではないだろう。そのためには、「10番」のいないチームのほうがむしろ好都合だとは思うのだが。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
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