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2009年1月24日 (土)

加藤望は応援する者の心情にシンクロする選手だった

 現役引退した加藤望のコーチとしてのシーズンが始まった。背番号24は若手選手に引き継がれ、加藤本人も新たなチャレンジに向けて気持ちを切り替えているらしい。が、それでもなお、湘南側が加藤に対して引退を勧めた(非公式な情報を総合すると、湘南の大倉強化部長が引退を勧告したということのようだ)のは誤りだったと言いたい。

 藤和不動産サッカー部の創設から数えて40周年といおうが、湘南ベルマーレには伝統が欠けている。フジタの撤退による1998年末の主力選手の放出は、直後の成績の降下をもたらしただけでなく、伝統の断絶をもたらしたからだ。これはチームカラーの喪失と同時に、各選手にとっての目標水準を曖昧にし、さらにはサポーターが選手に求める水準のバラつきをももたらしたと、私は考えている。
 中心選手が一気に抜け、さらに降格とともに中堅選手も抜けていった状況の下で、押し出されるように出場機会を得た若手選手に対しては、どうしても甘めの評価基準で見るサポーターが多数派だったと思う。こうした評価基準の変化は、伝統が断ち切られた結果であるが、同時にチームカラー喪失の遠因でもあった。
 湘南のチーム編成担当者も、選手の年齢構成のいびつさを問題視していたのだろう。昇格経験のある選手を中心に、中堅・ベテランの選手をコンスタントに獲得してきたのだが、問題の解消にはつながらなかった。そんな中にあって加藤望が湘南にやって来た。戦力としての存在感の大きさはもちろんのこと、他の選手にとって模範であったことは周知のとおり。さらに、選手評価の面で一つの基準になったことの意味は大きい。ともすれば甘い評価にさらされていた「期待の選手」も、加藤望との比較によって、従来よりも厳しい目で見られるようになった。

 加藤望が湘南にやって来たのは、幸運の賜物だ。柏レイソルの失策だろう。本来であれば、レイソルでレジェンドになっていてもおかしくなかった。2004年末に「若返り」の名の下に、加藤望・下平隆宏・渡辺毅とワンセットで契約非継続となったが、この急激な若返り策(ついでにいえばパラシオスとの契約も続けなかった)は他サポ視点で見ても拙速の疑いがあったし、そもそも、(ベテラン勢を起用しなかった)早野監督の続投を前提にしたことが疑問のスタート点であった。
 まあ私にとっては柏のことはどうでもよい。ただ、やって来た加藤望を見て、「よくぞこれだけの選手を柏が手放してくれたものだ。日立マネーがあるだろうに」と思ったのは私だけではないはずだ。たった半年で加藤望の存在価値を喝破したキム・グラントという選手もいた。

 湘南は、期せずして、欠けていた世代のレジェンド級の選手を得ることができたわけだ。それなのに今度は湘南が、そのレジェンド級の選手を手放すというのだ。柏レイソルは「出場機会の減少→契約非更改」という順序を踏んだのに対して、2008年の加藤望は42試合中40試合、全3780分のうち2516分に出場していた。それだけ依存度が高いレジェンドが突然チームを去るのだ。
 依存度の性格という面から見ても加藤望は惜しまれる。どういうことかというと、単純に依存度でいえば斉藤俊秀が加藤を上回るが、斉藤の契約非続行については納得できる部分がある。斉藤の存在は、戦い方(守り方)を規定するものとなっていたので、違う戦い方を模索する意図で斉藤俊秀を他の選手に代えるというのは論理的にいえば筋が通っているということだ(論理的で、秩序だって、潔くあることが正しいとは限らないが)。その一方で、加藤望の影響力は戦い方に関する制約とはならない。チームがどんな戦い方をするとしても、相応に存在感を示すことができる選手だ。
 いまだ戦力として活用でき、チームの中で模範となる選手である。引き止めることはあっても、引退勧告の対象にすべき選手とは思えない。せっかくつかんだレジェンドクラスなのに。

…とかいうことをこの1か月ばかり考えていたのだが、徐々に受け入れる気持ちに傾いている。大倉智の考えも薄々わかる。あれほどの選手が将来路頭に迷うようなことがあってはならないし、そのための布石が必要だ。2009年シーズンがJ1での戦いであればともかく、J2では加藤望が証明しなければならないものはもうあまり残っていない。そして、全盛期を知る者にとっては、「これが加藤望だと思ってもらっては困る」という気持ちもあるかもしれない。

 加藤望は応援する者の心情にシンクロする選手だった。
 彼の考える「あるべきプレースタイル」とサポーターやファンが望むプレーが一致していたのであろう。そして、それを実現すべく奮闘する姿が目立った。攻撃に停滞感があればミドルショットを放つ。リードを奪って引き締めるべき時には猛然とプレスをかけに行く。1点取れば勝利を決定づけられる終盤にはいつの間にかゴール前に飛び込んでいる。
 サポーターの感情が高ぶる負け試合において、とりわけその本領が発揮される。サポーター席の怨念じみた「やり返せ」という無言の唸りを背にしたときの加藤望は、強引にでもシュートに持ち込もうとするし、奪われたボールに食らいつくし、プレッシャーの厳しさを増す。そうしたときの運動量の増加が絶対的なものなのか相対的なものなのかはわからないが、間違いなくいえることは、逆境にあって根性を見せる選手だったということだ。
 代表歴があるわけでもないし、チームの中での役割もどちらかといえば脇役タイプだし、柏では昇格やタイトル獲得に貢献したが湘南では昇格にたどり着けなかったし…。しかし、柏と湘南を応援する人々であれば同意してもらえると思う。彼はサポーターの記憶の中でこそ燦然と輝く選手だと。

 こうした見る者とのシンクロが意識的なものであったことが、引退後には本人から語られた。
「17年間プレーする事が出来たのはファンの皆さんの(頑張れ)と応援して頂いたおかげだと思っております。それと皆さんの喜ぶ顔、悔しがる顔、悲しむ顔、全てが私のパワーの源でした。」(自身のブログ
「見に来る人が、何を求めているのか。それに応えなければいけないという思いは常に持っていました。もちろん、勝てば喜んでもらえると思うんですけど、一方で、選手が何を思ってサッカーをやっているかは、見ている方に伝わると思うんですよ。」(週刊サッカーマガジン2009.1.20号)
 このような意識を持つことと、それをプレーで実践することとの間には壁がある。その壁を実際に乗り越えることができた選手は多くない。そういう選手が増えることを切に祈る。コーチとして加藤望がそれを手助けできればよいね。そういう形での継承もまた、伝統をつくる一つだろうから。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
  • 三鷹牛蔵
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