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2009年6月27日 (土)

失われたアジア最強の看板

 W杯予選におけるオーストラリアとの戦績は、ホームで引き分け、アウェーで敗北に終わった。この結果はつまり、名実ともにアジア最強の看板を失ったことを意味するはず。そもそも予選を締めくくるアウェー戦に関しては、チームとしてこの試合をいかに位置づけているのかがわからなかった。オーストラリアがアジア最大のライバルであることは今や間違いないわけで、その相手に対して「全精力を傾けて勝ちにいく」のか、あるいは、「W杯出場を決めた後の消化試合として選手を試していく」のか。2つの選択肢の間で、岡田監督がどちらを重視しているのかが、最後までみえなかった。

 中村俊輔、遠藤、長谷部、中澤という主力勢が不在のなか、ピッチには松井、今野、橋本、阿部が送り出された。それぞれタイプは異なっているが、バックアッパーとしては当然の人選にも思える顔ぶれだ。トップ下にはここのところ定着している中村憲剛が入り、サイドバックには長友、内田というレギュラー2人を据える。この辺までは、いかにも本気で勝ちたいのだと思わせるが、好調な岡崎をサイドに配してトップに玉田を置くところがどうにもわからない。

 試合全体を振り返れば、良い時間帯もかなりあったし、押し込まれて負けたわけではまったくない。むしろ、前半はボールを支配していたし、敗北にふさわしい内容ではなかった。例えば橋本などは、「ガンバで遠藤と組んでいるから」という理由だけで、代表に選ばれているわけではないことを示したと思う。
 しかし、得点も失点もセットプレー絡みという事実からすると、しょせん、日本の攻撃は空回りだったのだと思わずにはおれない。なぜなら、時折みせたいくつかのチャンスにおいて、シュートはことごとく枠を外れていった。それはつまり、シュートの精度が低かったというより、難しいシュートを打たざるを得ない状況に追い込まれていたからではないか、と思う。
 オーストラリアのサッカーは、最小のリスクで最大のチャンスを得ようとするものだ。自陣でのマークを徹底する一方、好機とみれば大胆なカウンターアタックを仕掛ける。ヒディンクの就任以降、彼らは伝統のキック&ランにアレンジを加え、攻守両面でよりタイトになった。面白みがないのはまったく変わらないわけだが、あの大柄な連中に中東勢と同じポリシーで来られると、日本としては手も足も出ない。敵陣でだらだらと効率の悪い攻撃(というか単なるボール回しか?)を繰り返しては、隙を突かれて反転攻勢を受け続けるばかりになる。ボール支配率は高くとも、結局のところ、自分たちよりデカイ連中に囲まれてプレーする時間が増えるだけだった。

 率直にいえば、中村憲剛=ジェラードといういささか不遜な喩えが、物の見事に粉砕された試合といえる。コンタクトプレーで劣らないタフネスがあってこそのジェラードであり、その役どころは憲剛にはいささか荷が重い。アジアレベルではともかく、世界レベルで機能するには無理がある。
 ただし、松井にしても憲剛にしても、自分たちの置かれた状況ははっきりと認識していたと思う。強くて俊敏で生真面目なオーストラリアの守備網をかいくぐるため、ダイレクトプレーやワンタッチプレーを試みていた。うまくいったといえるプレーはほぼなかったが、今後、二人の意図が噛み合えば、それは世界で戦うための大きな武器になるのでは・・・と思わせるものだった。
 現在のチームでは遠藤、俊輔をベースにしているのだろうが、これまでの戦い振りからすると、攻撃面の手詰まり感は否めない。憲剛、松井の二人を加えた4人の共存があり得ないのだとしたら、岡田監督には新しい指針が求められるはずだ。この試合で松井の代わりに俊輔が、また憲剛の代わり遠藤が出ていたとして、オーストラリアに勝てたとは思えない。

 それにしても、以前から指摘しているように玉田のワントップはあり得ない。ポストプレーをこなせず(というよりこなす気がないのか?)、しかも1対1で勝てない者に前線を託す理由が分からない。キック力はあってもシュートがうまいわけではなく、そのプレー振りには味方を鼓舞する懸命さすら感じないのだが。
 多くのパサーを擁する日本に必要なのは、少なくとも自分の能力を信じて疑わないストライカーではないだろう。届かないパスに脚を伸ばし、後先を考えずにダイビングヘッドで飛び込むフィニッシャーこそが求められるのではないか。ゴン中山に憧れる岡崎が奮闘するなか、Jリーグで8試合出場1得点の玉田をワントップに据える理由が分からない。

 いずれにせよ、この試合を「勝てたかもしれない」と捉えていては、岡田ジャパンに前進はあり得ない。ホームでもアウェーでも、手玉に取られたというのがまっとうな評価だろう。限られた手駒でいかに戦うかを考えるのが監督の仕事であり、フィジカルの差や人材不足を嘆いても仕方ない。試すべきことはまだいくらもある、と思わずにはおれないのだが、監督が新しい何かを試したとは思い難い。当初は、玉田や松井に「最後のチャンスを与えた」のかとも思ったのだが。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
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