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2011年1月16日 (日)

田村雄三の現役引退と湘南の課題

 J1昇格に当たって、ほぼフル稼働で守備を担ったトライアングル、ジャーン(2009年は51試合中49試合4348分に出場)、村松大輔(同じく50試合4500分)、田村雄三(同45試合3873分)が揃ってチームを離れることになった。ジャーンの後継者・バックアッパー探しは2009年には顕在化していた課題であったし、21歳で代表招集歴のある村松をJ2に連れて行くわけにはいかないだろうことも想定内だ。しかし、28歳の田村雄三が引退するというのは予想外であったし、またチーム編成上の痛手という点では他の2人よりもダメージが大きい。

 4-1-4-1のアンカーと称されることの多い田村のポジションだが、実のところアンカーとは言い難い。どちらかというとディフェンスラインの一員という性格が強いので「フォアリベロ」のほうが実像に近いのだが、それもなんかカッコよすぎる。反町が公言するように攻撃面での貢献度は大きくないので、リベロと呼ぶのはちょっと違う。バイタルエリアで構えるだけでなく、相手のターゲットマンにマンマーク気味についていき、CBが攻め上がればそのポジションを埋めに行くし、サイドから攻められればボールホルダーにプレッシャーをかけに行く。デフォルトの始動地点から広範に動いて守備に貢献するプレースタイルは「ワイパー」という感じか?
 2005年のプロ入り後しばらくはCBとしてのプレーが多かったが、2007年にジャーン・斉藤俊秀の加入で弾かれて右SBに。…と書いたものの、振り返ってみると右SBだったのは2か月程度しかなかった。短期間なのに印象深いのは、ハーフウェーラインまでしか上がらないサイドバックとしては異色のプレースタイルと、産能スペシャルデーで披露した爆裂アーリーシュートのせいだろうか。

 話がそれた。2007年夏からボランチになり、2009年の反町監督就任後は「アンカー」になったわけだが、これが的中した格好だ。最終ラインで「最後の砦」であることを求められるよりも、中盤の底で思い切りよくプレーするほうが合っていたということだろうか。あるいは、エリアにとらわれずに危険な局面に顔を出す任務が向いていたというか。守備における「フリーマン」「ジョーカー」というか。
 ちょっと特殊すぎる役回りではある。というよりも、あのポジションの選手なら普通もっと攻撃に絡むべきで、それは田村の課題ではあったわけで、その面での成長は期待していた。なにしろ2010年はリーグ戦22試合1804分で1本しかシュートを撃っていない。「アンカー」というよりも「3人目のCB」と言いたくなるのも理解してもらえよう。ちなみに、村松大輔は30試合2576分で1本(毎試合「先制ゴールはだれだ」で村松に投票していた私って…)、さらに茂庭照幸は34試合3037分で1本。私が応援している選手たちってば。。。。自分ではそんな守備専フリークのつもりはないのだけど。

 また話がそれた。守備に偏りすぎたプレースタイルの田村雄三は、決してパーフェクトな選手ではなかった。チームが得点力を求めるときには歯痒さ、物足りなさを感じさせる選手ではある。シュートを撃たないし(チームの方針だとしても度を過ぎていると思った)、寺川能人ばりにスルーパスを通そうとすれば同じように相手選手に当たってしまうし、素晴らしい気迫をもった守備者でありながらボールを持つと一転して自信なさげに見えてしまう。そういう、プレー面での欠落にもかかわらず、チームで最も大事な選手だと私は認識していた。
 1つにはチームの中でのあり方がある。ピッチ上では「アンカー」ではないと思うが、チームの中では「アンカー」もしくは「リンクマン」だったようだ。ベテラン選手に自ら師事して尻尾を振り、強面の新加入選手に話しかける役割を担い、後輩にダメ出しをする。シーズン後の「感謝の集い」でシフォンケーキに薄く丁寧に生クリームを塗っていた若手選手に向かって「食ってばっかいんじゃないよ」と体育会的指導を与えたシーンは印象的だった。待望久しい「鬼軍曹」になりかけていたと思う。

 チームが強くなるためには「鬼軍曹」が必要だということは、本誌主筆・荒木又三郎からは10年以上前から指摘され続けていたのだが、湘南ベルマーレの歴史を振り返ってみて「鬼軍曹」は存在しない。それに類した言動をしていた選手はいたのだが、彼らの言動がチームに好影響を与え、チームを上向きにしたことはない。その最大の原因はチームの幼さにあったとは思う。丁寧に噛み砕いてチームメイトを諭し教え導く「先生」がチームに好影響をもたらしたことはその証左の1つだ。
 しかしながら、「先生―教え子」という上下関係は不自然であるし、望むべき状態でもない。先生になれる適任者の少なさという以上に、いつまでも「先生に教わる」メンタリティであっては、チームの成長に限界がある。チーム内で対等に要求し合うことが必要で、そのきっかけになる「鬼軍曹」がいることが望ましい。
 今の湘南は、ようやく「鬼軍曹」を受け入れる態勢(耐性?)が出来つつある。しかしながら他チームからやってきた落下傘的な「鬼軍曹」を受け入れられるかというと、いささか心もとない。それゆえ田村の存在が重要だった。「鬼軍曹」として受け入れられやすい要素が彼にはあったと思う。

 6年間で、田村雄三はポジションをつかみ、チームの中での地位を築いた。そのプロセスに大きな意味がある。
 田村は湘南以外のチームとの競合なく加入した。つまり彼の評価は、前年12チーム中10位(J1も含めれば28位)のチームにしか評価されていなかったということだ。そのうえ、チームの中には彼と年齢の近いCBの選手が複数いた。しかも田村よりサイズのある選手であったり、センスにあふれる選手であった。そして、いったんはレギュラーの座をつかんだがチームの成績は低迷し、斉藤・ジャーンの加入によって再びポジションを失った。
 そういったことによる危機感を自覚しながら、チームと自分が「変化しなければならない」ことを口にし、チームの先頭に立った。彼自身の立場も定かでなかった頃から。スキルフルとはいえないプレースタイルでありながら。
 結果的に、チームの成長と田村自身の成長が同じような曲線を描いた。もちろんこれには偶然もあるが、偶然であれ何であれ、こうした「チームを体現する選手」は得難い存在だ。絶対に手放してはいけない。…と思っていたら彼自ら引退を選んだのだけど。。。

 2011年の湘南ベルマーレのメンバーが発表された。ジャーン、村松のほかに2010年チーム最多得点の阿部吉朗もチームを去ったが、これは前向きにとらえられる。結果を出した選手が上位カテゴリのチームに引き抜かれることを強引に阻んでも歪みが残ることのほうが多い。それよりも新陳代謝のチャンスととらえるべきだし、今回の阿部についてはその準備ができていると思うから。
 その一方で、田村の抜けた穴は大きいと感じる。プレー面では見通しも立つが、ここまで述べてきたような精神的な領域については埋まらないだろう。これについては誰か1人が埋めるというよりは、チーム全体の意識向上によって解決すべきだと思う。その成否は外から見ているだけでは予測できない。期待しながらシーズンを待つだけだ。ある意味楽しみでもある。
 問題なのは私のユニフォームをどうするかだ。2番に代わる番号はまだ思い当たらない。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
  • 三鷹牛蔵
    高スポの陰の支配者。湘南ベルマーレを愛する先天性ジャパニーズ。

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