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2011年2月13日 (日)

ザックのめざす自ら仕掛けるサッカー――アジアカップ

 ドラマチックな展開をみせたアジアカップは、優勝で幕を閉じた。PK戦の末にライバル韓国を下し、決勝ではオーストラリアを破ってのタイトル奪取となれば、盛り上がるのも無理はない。ただ、めざしていたスタイルをどこまで発揮できたかというと甚だ疑問で、勝因はチームとしてのまとまりの良さにあったと考える。久しぶりの優勝に一通り浮かれた後で、ザッケローニのめざしている方向性を考え、それに沿ったチェックをしておきたい。

 全体的にみれば、ザッケローニの采配は合格点を与えられるものだったと思う。守備面ではいささかのもろさを露呈したといえるが、負傷離脱した松井、香川の穴をうまく埋めたし、試合終盤の交代起用もおおむね当たっていた。むしろ、就任後初めての大会でこれほどうまくいってしまってよいものか・・・・・・というのが、大方の率直な感想だろう。W杯直後のため、参加チームの完成度がおしなべて低かったとはいえ、それは日本も同じこと。まあ、しょせん相手はアジア勢といわれればそれまでなのだが、優勝可能な唯一の国際大会を勝ち切った点は素直に評価したい。

 大会で見せたザッケローニの戦術は、ある程度、守備の不安をさらしても得点を狙う果敢なものだったといえる。ボール奪取と速やかなオーバーラップを意識したディフェンスラインを敷き、サイドアタックを重視して5人で中盤を組む。あの布陣は、明らかにボールを支配し、自陣ではなく敵陣でプレーする時間を増やす意図があったはず。それは、W杯本大会でみせた「カウンター頼みの戦術」とは異なるし、直前までやっていた「自陣からゆっくり仕掛けるパスサッカー」とも違う。中盤での機動性を重視する方向性は、むしろオシムやトルシエに共通するものだろう。
 以下、DFから順にみていきたい。

 優勝チームとは思えない失点数を記録したディフェンスラインは、そもそも押し込まれて守り切るような展開を想定したものではなかった。試合終盤、たびたびセンターバックを投入して試合を終わらせようとしたことからも、それは間違いないだろう。相手を止めることよりもボールを奪うことに長けた今野をセンターバックに起用し、さらに攻撃力のある長友と内田を両サイドバックに使い続けた意図は、明確だった。あえてラインを押し上げ、中盤の選手と一緒になってボールを奪うことを優先した布陣だったといえる。
 ただ、その結果としてラインコントロールに失敗したり、センターバックが1対1の対応でミスを犯して失点を喰らう場面も多かった。今後、相手のレベルが高くなった場合にも同じやり方で行けるかというと、おおいに不安がある。
 なぜなら、日本が中盤のプレスを徹底すればするほど、攻めあぐねた相手は早めにロングボールを放り込んでくるからだ。そのとき、高さに劣る今野はウイークポイントになりかねない。サイドバックの二人も高さの面ではかなり不安だし、内田には屈強なFWを1対1で止める力はない。今野や吉田がサイドに吊り出された場合のケアが重要にならざるを得ないが、長谷部はともかくとして、遠藤がフォローに入るようだとかなり苦しくなる。ベテランに頼らず、若い吉田にポジションを与えたのは潔いチョイスだったが、今後も彼と今野のコンビでいくのは厳しいかもしれない。

 5人を配した中盤は、限られた時間ではあったが、ゲームを支配するプレーをみせた。ディフェンスラインからダイレクトないしワンタッチでショートパスをつないでいき、徐々に密集地域に風穴を空けていく――。従来であれば、相手が自陣に引きこもってしまうとなかなかリスクを犯して攻めることができないのが常だったが、意識的に仕掛けていく場面がみられたのは頼もしい。あのスタイルが、ザッケローニがめざす攻撃の型なのかもしれない。
 もっとも、あのスタイルを90分間続けるのは体力的にもリスク管理的にも厳しい。その点、長谷部、遠藤あたりがイニシアチブを取り、時間帯を見定めて意図的に仕掛けていたようにもみえたが、どうだろう。いずれにしても、相手を圧倒するほど機能していたとは言い難いし、アジア相手であれば、もっと長い時間にわたって仕掛けられてしかるべきだったとも思う。例えば、玉際の厳しさを失った今の韓国であれば、もう少し何とかできたのではないか。今後、精度を高めていく必要があろう。

 さて、あのスタイルをめざすのであれば、遠藤と長谷部を底に置き、その前に香川、本田圭、松井と並べるかたちは、理想ではあるだろう。前の3人がポジションチェンジをしながらボールを回し、その間にサイドバックのオーバーラップを引き出して、最終的にクロスなり中央突破なりでフィニッシュへ持ち込む。スムーズなアタックを仕掛けるためには、前の3人にはテクニック面での万能さと機動力、そして共通理解が求められるところで、あの人選はよく分かる。
 本田圭を中央に置いて香川を左サイドに置くのは、ある意味、仕方がない面がある。これが逆だったら、ボールはスムーズに回らないだろう。キープ力を期待して本田圭を前に置くなら、やはり中央しかないのだ。やたらとシュートを打ちたがることを考えれば、むしろ後ろに下げてミドルを狙わせるのもありだとも思う。逆に香川を中央に置けば、今度は前田がポスト役を果たすために下がって来る場面が増えるだけだろう。ザックにとっても、悩ましいところではないか。個人的には、かつての森島のような人材がいれば一度トップ下に置いてみたいところなのだが、現状は該当者が見当たらない。
 一方、攻撃の基点になる中盤の底には、スピーディーにパスをさばける人材が欠かせない。つまり、ここでボールを奪いに来る敵を引き付けてプレーしなければ、一連の仕掛けは始まらないからだ。守備重視のボランチ起用は難しく、かといって遠藤を使い続けるのも微妙に思う。なぜなら、この位置でボールを奪われるのは致命的なピンチを招くわけだが、彼にはファウル覚悟でも敵を止められる保証がない。本田圭を下げる選択肢を考える、もうひとつの理由である。
 とはいえ、今回は早々に松井が離脱してしまったことで、代わりに起用された岡崎がむしろ違ったかたちで機能した。つまり、ゴール前へ斜めに飛び出す動きが武器になったわけだが、あれが活きるのは敵の守備が整う前に限られる。得点シーンを思い起こせば、引いた相手に対して自ら仕掛けて崩していたシーンはほとんどなかったし、その意味では、意図していたスタイルが機能して優勝したとは言い難いのではないか。
 なお、決勝で使われた藤本はまったく機能しなかったし、柏木の場合は相手のサウジアラビアがひどすぎて参考にできない。今後、海外組が召集できないとき、ザックが中盤にどうしたメンバーを組むのかは、俄然注目されるところだ。

 1トップに関しては、やはり厳しかった。前田一人で単純なポストプレーをこなすのは難しく、試合でも本田と二人で役割をこなしていた感がある。
 しかし、これは前田に問題があるというよりも、そもそも日本には相応しい人材がいないというべきだろう。パスワークとポジションチェンジを活かすという方向性からすれば、ただ高いだけではあのポジションは務まらない。むしろ前田はよくやっていて、試合を重ねるにつれて馴染んできていたように感じた。ザックや周囲からは「下がってくるな」という指示もあったようだが、本人は明らかに本田圭のプレー振りを気にしていたため、なかなかプレーしづらかったものと思われる。
 結局のところ、試合の中で1トップが活きるかどうかは、敵のレベルに左右されざるを得まい。中盤との連携で崩すことと、得点者としての役割を両立するのは困難だ。実際、前田は中央でアクセントになるより、サイドに開いてクロスを入れるシーンがめだっていた。ザッケローニも、FWがゴールすることに固執しているわけではないのだと思う。なお、いうまでもないとは思うが、岡崎とともに得点を重ねたサウジアラビア戦は、相手が弱すぎて参考にすべきではなかろう。いずれにせよ、今回FW登録で呼んでいたのが3人のみであることからすれば、ザッケローニは現時点で1トップを基本に考えているのだと思われる。
 岡崎に関しては、幸か不幸か、松井の離脱によってサイドで活躍の場を得た。得点力を発揮し、守備面でも内田をうまくフォローしていたが、ザックが彼の1トップ起用という選択肢をどの程度考えているのかは、疑問である。少なくとも李の使われ方をみていると第一、第二の選択肢は前田と森本で埋まっているように感じてならなかった。移籍先でめだった活躍ができないようだと、「サイドもできる便利な控え」に甘んじる可能性もあるだろう。
 決勝のゴールで知名度を上げた李にとっては、森本が当面のライバルになろう。前田のような器用さはないし、ザックがスタメンでの起用を少しでも考えていたとは到底思えない。岡崎のようにサイドで使えるわけでもなし、今後のメンバー落ちも十分あり得ると思う。

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コメント

 つまりザッケローニは、イタリア人監督としては異色ってことなのでしょうか。リスクを消すことに躍起にならないところが。あるいは、誰かが指摘していた「ピルロ(遠藤)とセードルフ(長谷部)はいるけどガットゥーゾがいない」ということをあまり気にしていないように見えるところとか。
 全体的に、期待と不安の両方を常に持ちながら見ていられたので、面白かったですね。清水→鹿島の本田がすっかり株を落としてしまったのは残念でしたが。

 イタリアというとどうしでも守備重視のイメージが強いですが、実際には事あるごとにトレンドと違う試みをする監督が現れるわけです。ただ、そこで成功して強豪の監督になってしまうと、やはり「負けないサッカー」をせざるを得なくなる面があります。ザッケローニもそうしたコースを通ってきた一人なわけですが、強豪チームではめだった結果を出せなかったため、心機一転、日本へ来たという経緯でしょう。つまり彼は、「負けないサッカー」がうまくできずに都落ちしてきたのであって、その意味では異色といえるかもしれませんし、日本で戦術的にも新たなチャレンジをしている・・・・・・というところではないでしょうか。
 「ガットゥーゾがいない」云々の話は、どこで指摘されているのでしょう? ザッケローニ在任中のミランには、ピルロとセードルフはまだおらず、ガットゥーゾは3-4-1-2の右サイドハーフで起用されていました。なので、それはアンチェロッティのミランの話ですね。今の日本と彼の4-3-2-1を比較するのはちょっと違うと思いますが・・・・・・。イタリア人監督は研究熱心なので、トレンドもすぐ変わりますし。
 ただ、ザッケローニがリスクを犯しているといっても、いざ守るときには香川も岡崎(松井)も下がるし、さらに必要に応じて前田と本田圭も自陣までボールを追っていました。確かにガットゥーゾはいませんが、中央には二人の守備的MFを置いているため、そんなにイケイケではないでしょう。たぶん、「汗かき役」がいないことが指摘されているのだと理解しましたが、現在はむしろ「まったく走れないボランチ」とか「まったく守らないサイドハーフ」が許されなくなってきている面があるので、「汗かき役」は必需品ではなくなってきているように思います。たとえイタリアであっても、ですね。

 ザッケローニの位置づけがようやく理解できました。ガットゥーゾ云々は、具体的に彼の実績になぞらえた話ではなく、まあ与太話です。ですが「汗かき役」なり「潰し屋」なり「番犬」なりといったタイプの不在は気になっていたので持ち出したわけですが、うん、ちょっと遠藤を見くびりすぎなのかもしれません(私が)。

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高スポ執筆者

  • 荒木又三郎
    高スポ創刊者にして主筆。ACミランを愛する後天性フランス人。高スポ編集雑記に本音をぶちまける。
  • 三鷹牛蔵
    高スポの陰の支配者。湘南ベルマーレを愛する先天性ジャパニーズ。

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